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ありえない未来の描き方

「心から望んだものは叶う」

成功哲学系の勉強をしていると、よくこういうメッセージに出会います。

その度に、「でもさ〜」「けどさ〜」「だってさ〜」みたいな批判をしたくなる自分が出てくる。

だって、そもそも「心から望んだもの」って、何なのよ??と。

今に満足していないから悩んでいるのに、「心から望んだものは叶う」なんて言われちゃったら、「満足していない今」を自分が望んでいたものだ、ということになっちゃうじゃない?

そんなのあり得ない!!絶対に嫌だ!!!!!

僕はもっとお金持ちになりたいし、世界中を旅してみたいし、立派な車にも乗ってみたい!!!

なんて・・・

欲望まみれのことを口に出してはみるけれど、本当の本当の本当にそれが自分が望んでいるものなのか?と問うと、疑問も湧いてくる。


「もしかしたら、僕が望んでいる『幸せ』は、誰かの受け売りなんじゃないか?」って。


少し前までの僕は、そんなことを頭の中でぐるぐるとこねくり回しては、モヤモヤ考え続ける日々を過ごしていました。

人間が「選ぶ」をするときには、「知っているもの」からしか選べない。なんて話を聞いたことがあります。

で、純粋な僕もその考え方を信じていたんだけれど。

もし、「今の自分からは想像もできないような“ありえない未来”に辿り着きたい!」と願うなら、「知らないもの」からも「選ぶ」をすることを、自分に許可してあげる必要がある。ということに気づいちゃったんですよね。

それに気づけたのは、わりと最近のこと。

きっかけは、先日体験したこちらの出来事のおかげでした。

超現実主義者な僕からすると「ありえない未来」を語られると、「本当かな〜」と、つい疑いたくなっちゃうんです。

例えば、20代の頃にストリートミュージシャンをしていたときのこと。

立ち止まってくれたお客さんから「君、いいね〜!きっと紅白とか、ミュージックステーションとか出れちゃうんじゃない?」と言われることがよくありました。

お世辞なのか、なんのか。もちろん、嬉しいんだけど、その人が予言した未来を受け入れることができない僕がいたんですよね。

それはきっと、「受け入れても良い」という許可を、自分に出せていなかったからでもあると思うんです。

でも、今思えば、「受け入れても良い」を選んでも良かったんですよね〜。

まじめ、というか。頭がカチンコチンでした。

「こうで、なければならない!!」「こうあるべきだ!!」みたいな。

でも、往々にして僕らが望む「理想の未来」というのは、今の自分からは観測すらできないほど、全く違った「ありえない未来」にあります。

その「ありえない未来」を観測したいなら、まずは「描く」が大切なんでしょうね。

「描く」をすると、「観測する」ができるようになるから。

ちょっと小難しい話を挟むと、量子力学的には「観測」をすると、「ない」が「ある」に変わるそうなんです。

例えば、「水蒸気」は「見えない」からな「ない」なんだけど、機械を使って観測したら「見えない」けど「ある」に変わりますよね?

それと同じで、「ありえない未来」も、「描く」で「観測」をすることで、「ある」に変わる。

そして、水蒸気のそれと同じように、ある一定の量を満たして「溢れる」が起きたとき、「水」という形で具現化するんです。

「ない」をいかに信頼して、「ある」を前提にできるか?

僕らが、朝のニュースを見て「降水確率」を信頼し、傘を持って出かけるのと同じように。

「ありえない未来」が「ある」のなら、今どんなアクションを起こすのが自然なのか?を考えていくことで、「ありえない未来」を叶える確率は大きく異なってくるんじゃないのかな?と。

これが、現段階で僕が言語化できている「ありえない未来の描き方」です。

いかがでしょうか?

あなたはどう思いますか?

僕はこの考え方が、今のところ一番しっくりきています。

p.s.

告知が急すぎるんですが、今夜2024年6月6日20時〜

株式会社MOTHER主催の「ありえない未来の描き方がわかる!新月ワークイベント」があります。

僕はこのイベントで、司会を務めさせていただくことになったので、タイミングが合った方は、ぜひどうぞいらっしゃってください。

無料で参加できます。

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