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「霜月祭り」復興プロジェクト

『霜月祭り』復興プロジェクト 南信濃村編

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霜月祭りは、毎年12月、長野県の遠山郷の神社で行われる祭りである。この祭りの主な目的は日本中の神々をお湯に招き、一陽来復を願うこと。祭りでは、神々の名前を呼びながら、舞を奉納する。この湯立て神楽の世界観は映画千と千尋の神隠しのモデルになった。
この『霜月祭り』復興プロジェクトは、私達、郁文館グローバル高校の生徒が、人口減少に悩み10年前から中断されてる遠山天満宮の霜月祭りを、再興するプロジェクトである。

霜月祭りの舞台、南信濃村は長野県飯田市街から車で一時間ほどの山間の中に位置する。
私達は新宿からバスで約4時間かけて飯田駅まで行き、そこから車で南信濃村の方々に運んでもらう。村に到着するのは大体お昼過ぎだ。1泊2日の日程でこの移動はハードであった。
南信濃村にコンビニは無いため、市内で飲み物やお菓子を買ってから移動。

村に到着すると、村民や霜月祭りの保存会の方々とご挨拶。皆さん顔を覚えていてくださる。
私は南信濃村には全部で4回訪れた。回数を重ねるごとに村の方々とさらに親しくなれた感触がある。『また東京の子が来てくれた』と言ってくれて、村の方々の霜月祭り復活への期待を感じた。

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保存会の方々と舞の練習を行う。
本番前日である。挨拶の後は、私達が今まで学校で練習してきた舞を保存会の方々に見て頂き、翌日に向けて最終調整する。

その後は農家民泊の方々とご挨拶、普段はこのまま男と女で別れ、民泊へ移動するのだが、この日は南信濃村に訪れる最終日。私達、男組にはどうしてもやりたいことがあった。
それは村の中心部にある温泉、かぐらの湯に入ること。

女子勢の民泊先は温泉の近くにあったが、男組の民泊は村から離れた山の上にあり、私達は温泉に入るチャンスが今までなかった。
どうしても温泉に入りたかった私達はどうにか日程を調整し、この願いが叶った。

温泉に入ったあとは民泊先に移動する。村の中を通る国道脇には民家が点在しているが、空き家が多いらしい。人口減少に悩まされてるのが分かる。
若者は少なく、高齢者が多い。
南信濃村には小学校と中学校はあるが、高校は廃校になっている。
南信濃村の高校生は飯田市内の高校に通わなければいけないそう。

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険しい山道を登っていく。鹿が車のライトに反応して突っ込んでくることもあるそうだが、
地元の人々は軽自動車で慣れた様子で運転をこなす。
15分程で民泊先に到着。

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霜月祭りはこのあたりの地域で複数ある。
私達は和田の遠山天満宮の霜月祭りで舞を奉納した。一方私達が泊まる地域では中立の霜月祭りがある。
遠山天満宮では湯釜を一つ使うが、中立では2つ使う。
祭りの進行や舞の種類も地域によって違う。

実は私達が泊まらせていただくのは中立の霜月祭りで禰宜をされてる方のお宅。
夕食を食べ終わったら、夜中まで中立バージョンの霜月祭りDVDを見ながら、祭りの解説をしてもらうのが4回の訪問を通して形成された慣例である。

残念なのは今年は中立では霜月祭りが行われないこと。こちらの地域では、人手不足や祭りをするのにかかる負担を考慮し、神事だけ行うそう。祭りでは多くの方々の力が必要。社は一年中手入れが必要で、祭りの時は皆でご飯も食べる。本来は朝方までやる祭りであり、体力も必要だ。祭りを行うには人もお金も時間もかかる。禰宜の方は祭りを行いたかったそうで、悲しそうにそれを話してくれた。
一度祭りを中断すると中々再開することは無いそうで、中立の霜月祭りは来年もできるか分からないとのこと。人口減少、少子高齢のコミュニティの中で伝統の維持がすごく大変なのが伝わった。

翌日、朝から社に集まり、皆で祭りの準備をした。すでに村の方々が沢山居て、社の掃除をしたり、直会の準備をしていた。
私達も宮田さんから頂いた法被を着て、祭りの準備を開始。
周りの様子を見ながら手伝いをしていった。
村民の方々の家族感がすごい、親戚が集まったかのように、賑やかに準備が進められる。

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振り返ってみれば、南信濃村では都会の生活では感じることのできない人の優しさに驚かされることが多かった。賑やかし隊隊長の山崎は帰り際に毎回お土産をくれた。ジビエやりんごなど、南信濃の名物を沢山頂いた。
学校で舞を伝授してくださった西森さんは、祭りの前日も様子を見に来てくれた。本番も祭りを盛り上げてくれて、祭りの最後に祭りTシャツの交換もした。
とにかく人と人の距離が近い、暖かい村だった。 

後編に続く


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