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先生のペンの音

学生の頃、私は全く勉強をしなかった。
どれくらいしなかったかというと、授業中は空想もしくは夢の中にいるので教科書は開かない、宿題は、やって行った事がないし、もちろん塾にも行った事がない。
自分の興味のない事をしようとすると、とにかく眠くなる、という病(自己診断)を抱えていた私は、やりたくても出来なかったのだ。

そんな私も、高校受験の時に初めて勉強をした。
このままでは高校に行けない‥
中学3年生のクリスマス前になってやっとそう気が付いたのだ。
でも、それまで教科書もろくに開いた事のなかった私には、分からない事が多すぎた。
母が、やっとやる気になった私をみて、受験までの2か月間だけ家庭教師の先生を雇ってくれた。

家庭教師の先生は大学生の女の人で、中学生の私から見ると大人の女性だった。
分からない事だらけだった私に、一から順序立てて教えてくれた。
先生の説明は分かりやすくて、ちっとも眠くならず、私は初めて勉強する事が楽しいと思った。
数学の、何:何、の意味を理解する事が出来たのは、この先生のおかげだ。

先生は私が質問をすると、ちょっと待ってねと言って、ペンをカリカリさせて自分のノートに何か書いて考える。
それを見ながら待っているのが好きだった。
先生は今、私のために私への言葉を準備してるんだ。
そう感じてワクワクしながら答えを待った。

母がごはんやお菓子を部屋にもって来てくれるのを二人で食べるのも、とても楽しかった。
先生もおなかが空いていたのか、うれしそうで、二人で勉強の話とは関係ない洋服の話なんかをしながら食べた。
先生はあんまりおしゃべりするタイプではなかったけど、私が懐いてたくさん話かけたので、ちょっとずつおしゃべりする様になってくれた。

たった2か月間だったけど、私は生まれて初めて(そしてそれが最初で最後)一生懸命に勉強をした。
そしてその結果、志望校に合格した。

先生も喜んでくれて、受験が終わったら行こうねと約束していた遊園地に連れて行ってくれた。

今でも何かを書こうとペンを手に持つと、先生の細い指がペンをカリカリさせる音を思い出すことがある。
クリスマス前のこんな時期、私の机に先生と二人並んで座っている夜を。


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