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OMO #28

Online Merges with Offline.

オンラインとオフラインの融合という意味ですが、この週末は久しぶりにその良さを体感した時間で、あっという間に過ぎて終わりました。良かった、本当に良かった。

普段から学び合い、人間性を磨き、相手や社会の役に立とうと日々奮闘し合うコミュニティがあってこそですが、それよりも何か別のマインドや思考が芽生えたのです。

今日は、それについて考えてみます。


私は、昔から人間観察が趣味でヒトに対して興味はずっとある性分です。

ですが、興味はあってもそこから深く探究することが、今思えば浅い過ごし方をしてきました。しかし、スポーツや書道、音楽など体系的に経験できたものに関しては、やめることなく根気強く行っていましたが、「思考」は浅かったように思えます。

今の方がよほど毎日考えています。そのせいか白髪が増えました。(笑)

その興味を持続させることも、昔に比べて随分長くなったように思います。
その結果、興味の先に自分が得ることができるであろう、好奇心、知識欲をどんどん望むようになり、飽きる、めんどくさいと思う、途中で投げ出す、という気持や所作が激減しました。

これは、学問だろうが、人だろうがすべてに共通する意識です。

つまり、今回の過ごし方で、私が彼らに会いたくなったのは、
もっともっと彼らのことを知りたい、触れたい、という、「愛」から来ている繋がりだと思っています。

隔たり

実は、この週末が訪れるまでの最近、私はコミュニティ活動を自粛気味でした。

今は仕事熱が最も高いのです。自分の教育への哲学が「自律」というのが今のキーワードで、これは昔から通ずる私の教育理念と一致したことに気づけたからです。

さて、その隔たりが相乗効果を生んだとも考えています。

よく、スポーツや楽器を吹く練習をしていると、
1週間ほど敢えてその行為をせず過ごして、その後練習をすると、身体が以前よりも動いたり、体感や捉え方の変化を感じることもあります。

何かを一時的にやめても、実は潜在意識の中では継続できていて、活性を高めたのかもしれません。

しかし、これの代償はコミュニケーション不足。
急に音沙汰をなくして、関わらないようになるのは失礼なことをしてしまったなぁと反省もしています。

使命

もともと、この週末にOMOで過ごしたのも、
この夏に大人の合宿イベントを企画すための下見だったからです。

私はそこの実行委員の一人。
企画側はやはりそれ相応の責任が伴う反面、
協働、創造によるデザインすることの面白さを一気に体験することができます。

私は、やると言ったらやる人です。
ちょっと前は、嘘をついてごまかしていた時期もありましたが、いま思えばとてつもなくダサいし、人としての限度を感じます。

しかし、うまくいかない時の自分こそ、正念場。
自分を愛し、信じ、考えに考え抜き、
人を愛し、信じ、どうすれば喜び、役に立てられるか想像し、
神様が決して乗り越えられない試練など与えず、今の私にとって必要不可欠な障壁を出してくれいるに過ぎない、と魂に刻み続けることができるか。

この三方良しの状態を、どれだけ意識できているかが日常が変わるです。

それが命を使う、つまり使命ということなのでしょう。

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