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この手で掬う生命

今日をもって26歳になりました。
感慨深いです。
なにかを選べて、なにか特別な才を得てして生まれたわけではないけれど、これまでたくさんの分岐点を経て、今の自分が在ることそのものが生きてきた証。
ここまでたくさんの試練を乗り越えてきた事実を自信に変えて生きていきたい。
こんな自分を少しでも大切に想い支えてくれた人、同じ時を過ごしてくれた人がいてくれたことは奇跡なんだと思うのです。

過去を遡り、自分自身を受け入れることができず闇夜に沈んでいた日々。
身体や性格、受け入れられない自分、自信が持てない自分、変われない自分に嫌気がさして線香花火のようにパチパチッと綺麗に消えてなくなりたいと思っていた。
人を信じることもできなくなった。
いつしか感情に蓋をして自分がボヤけていた。
偽りの自分で生きていた。
みんなが誰かと楽しそうにしている空間や時間が羨ましかった、、、
決して立ち入ることのできない場所。
過去を想うと負の感情が逆流する。

でも、こんな私でも何とか生きています。
社会人やってるんです。
必死にもがいて傷まみれになりながらも。
日々打ちのめされながらも。
時折心の隙間から差し込む陽光を頼りに、、、
少しずつ自分の形を変えながら、、、

自分の身に起こること全てを受け入れることで。
誰かに受け入れられなくてもいい。
人にはそれぞれの価値観があって、解釈がある。
自分が大切にしたからといってそれが受け入れられる訳でもない。
大切にされるとも限らない。
むしろ傷つけられるほうが多い。
何かを失うのは一瞬。淡く儚い。
分かり合えるなんて綺麗事に過ぎないのです。

けれど、私を内側から包み込んでくれる美しい人が現れたなら手は離しません。
私の全てを捧げます。

そんなことはもうどうだっていいのです。
自分の目の前の人を大切に想うことができれば。
自分の目の前の人に紡いだ言葉を大切にできれば。
自分の目の前の人に力を有り余すことなく尽くすことができれば。
常に美しく在れば。
そんな贅沢は要りません。
空を見上げて、一番星が見えればそれは幸せ。

私は自分という原石を磨き続け大切にする事にしたのです。
この世に誕生した使命がきっとあると信じて。

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画像に映っているのは「リヒトミューレ」という陽光をあびるとガラスの中にある羽根がクルクルと回るオブジェです。ドイツの職人さんがひとつひとつ丹精込めて作り上げています。陽光が当たっている間は永遠にまわり続けるという美しいものです。
人間も同じ原理で生きているのではないかと思うのです、、、

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