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思い出の人1~下柚木のアパートの人たち②~

ホントは「下柚木のアパートの人たち」は1つの記事でまとめようと思って書き始めたのですが、H川君の思い出が強烈過ぎて、H川君だけの1つの記事になってしまいました ↓ 。

ということで、H川君以外の「下柚木のアパートの人たち」で記憶に残っている人たちについて書きたいと思います(失念してしまった人たちすみません)。

T中君のこと

T中君は北海道札幌市出身。私やH川君同様に新入生でした。
でも、一浪して入学したので私やH川君より1歳年上でした。
雰囲気も落ち着いて、話し方もおっとりしていました。

T中君の部屋は私と同じ2階。階段を上がってすぐの201号室がT中君の部屋でした。ちなみに、階段から一番離れた奥の部屋が私の部屋でした。

T中君の思い出で最も残っているのは、ゴキブリ退治の件です。

入居して気温も暖かくなってきた6月初め頃だったと思います。
夜、布団に入って眠ろうとしていると、台所の方から「ガサガサ」と小さな音が聞こえてきました。

「いったい何だ?」と思いましたが、気にしないようにして目をつぶって寝ようとしていました。

すると、再び「ガサガサ!」と小さな音が聞こえてきました。

「何かいる!」と思った私は起きて、そーっと台所の方に向かいました。

そして、台所の電気をつけた瞬間・・・台所の洗い場の角に置いている、生ごみなどを入れている白いレジ袋に艶々した見事に焦げ茶色が輝くゴキブリを発見しました!!!!!

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私は虫が大の苦手。いわんやゴキブリ・・・死ぬほど大嫌い。


私はダッシュで部屋を出てT中君の部屋のドアをノックしていました。

なぜ隣のH川君の部屋ではなく、2階で最も距離のあるT中君の部屋に行ったのかは分かりません。

ドアを開けて出てきたT中君にゴキブリのことを話すと、T中君は箒を手にして私の部屋に急いで向かってくれました。

しかし、台所の白いレジ袋の所にはもうゴキブリいませんでした。

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私は「自分の部屋にゴキブリがいる」と脳に強くインプットされてる状況なので、どうしても退治しないと気がすみません。眠れません。
T中君にそのことを話すと「分かった。必ず退治しよう。いったん全部明かりを消そう」と箒を持ったまま言ってくれました。

灯りを消して、しばらくすると・・・「ガサガサ」と例の音がしました。

T中君は箒をもって身構えて立ち、私は灯りをつける態勢が整いました。

灯りをつけた瞬間・・・ゴキブリはあの白いレジ袋の所にいました!!

と同時にT中君は箒でゴキブリを叩きました。

ゴキブリは一瞬で玄関先まで吹っ飛びました。

T中君はとどめを刺すため、吹っ飛んだゴキブリを箒で何度も叩きました。

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ゴキブリは退治されました。

退治されたゴキブリはT中君がチリトリを使い、私の玄関先からアパートの外・階下へ「放棄」されました。

普段は落ち着いて物静かなT中君・・・が、とても勇敢でパワフルな男に思えた瞬間でした。

T中君とも私が府中のアパートに引っ越ししてからは一度も会っていません。現在、どこで何をして過ごしていらっしゃるのか・・・。
当時の雰囲気や外見からすると、学者が似合う感のT中君。

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F原君のこと

私と同じ新入生で、このアパートの入居者になったのが岡山県総社市出身のF原君。

ちなみに、この年のアパートの入居者は私を含めて4人。
これまで書いてきたH川君、T中君、そしてF原君、そして私が新入居者でもあり、新1年生でもあったのでした。
学部は当時、この大学の文系学部の全学部である、文学部(H川君)、経済学部(T中君)、商学部(F原君)、法学部(私)になってました。

さて、F原君は、高校時代から原チャリを乗り回していたそうで、天然パーマで少し茶髪で少しやんちゃな感じに見える外見でしたが、明るいキャラで話の面白い人でした。

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F原君は原チャリを持ってきていたこともあり、新入生4人の中で一番最初に(5月頃)アルバイトを始めたました。

アルバイト先はファミリーレストランのジョナサン。原チャリでさっそうと夜に勤務し始めました(店舗は南平店だったような気もします)。

アルバイトが休みの日にF原君の部屋に遊びに行くと、部屋にはお店のメニューがありました。
アルバイトを始めたばかりのため、まずはメニューとその略称を覚えなければならないということ。ちなみに、レモンスカッシュのことを「レスカ」と呼ぶことはこのとき初めて知りました(笑)

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また、おニャン子クラブが大好きで、なかでも「ゆうゆ(岩井由紀子さん)」の大ファンだったのも覚えてます。

F原君とも、このアパートを引っ越してから一度も会ってませんが、今も元気で明るく過ごしてるのかなぁ。


A坂さんのこと

A坂さんは私の部屋の真下の部屋に住む先輩でした。私が入居(入学)したとき商学部の三年生だったような・・・。

出身地は埼玉だったか千葉だったかいずれ東京の近隣だったような気がします。赤い中古のセリカをもっていて、バンド活動に気合を入れていて、とても明るいノリの人でした。

A坂さんとの思い出は、なんと言ってもバンド練習を部屋ですることです。

私が入居したての頃は遠慮していたようですが、ゴールデンウィーク明け頃頃から部屋での練習が始まりました(A坂さんからすると再開)。

1人でギターを弾いて口ずさむのならまだいいのですが、バンドのメンバー数人と演奏することがあるので実に困りました。
私が不在の日中ならかまわないのですが、在宅時や帰宅後、そして夜にも練習することがあるのが本当に困りました。

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他の部屋の先輩に聞くと、私が入居する以前は、夜中に練習(演奏)し、近所の住人から警察に苦情がいって、警察官が注意しに来たこともあったとのこと。

私はしばらくは我慢していましたが、あまりにもうるさい音がしたり、長い時間練習が続くときは、私は畳を蹴ってアピールするようになりました。

畳を蹴ったときは練習はストップするのですが、少し時間が経つと再開・・・・。この繰り返しでした。

ちょうど私は同級生と麻雀をやる機会が多くなっていた時期でもあったので、私の部屋で麻雀をすることにしました。しかも徹マンで。

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できるだけ音はたてないようにしてはいたものの、やはり牌の音はちゃんとA坂さんの部屋には響いていたようです。

「お互いさま」ということを理解していたようなA坂さんは私に注意・文句を言ってくることはありませんでした。
私も特にバンド練習については何も言わずに、会えば明るく挨拶をして「大人の対応」をして過ごしました。

A坂さん、少なくとも私が知っている範囲ではミュージシャンにはなっていないようですが、今も元気で過ごされてるのかな。

ちなみに、我が隣人のH川君はその頃、昼夜逆転状態で生活(夜はテレビを見て大笑い)していたので、私の部屋の麻雀の音は全く気にならなかったとのことでした(笑)。

終わりに

1986年4月初めから1988年2月初めまでの2年間を過ごした八王子市下柚木のアパートの入居者の思い出を書いてみました。

アパートの入居者は私を含めて10人だったのですが、名前を思い出せる人4人を書いてみました。

あとの5人のうち3人は、顔はなんとなく覚えていて、少しお話ししたときのことなどは覚えているものの名前が浮かびません。あとの2人は、入居中も一度もお会いしたことがなかった人(いずれも4年生)でした。

私と同じ大学の新入生として入居した3人は、今、どこで過ごされているのかとても気になります。みんな元気で過ごされていることを祈ってます。

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