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【雑記】内田樹『サル化する世界』を読んだ。

なにか、少し文章を書きたくなった。
8月に一人で暮らすようになってから、一人で過ごす時間が増えたということもあるし、何より、最近、仕事が少し落ち着いているということもある。
(書き始めている今の段階では、どういったカテゴリーとして書こうかは決まっていないし、内容も定まっていないが。)

内田樹『サル化する世界』(2023, 文春文庫)を読んだ。タイトルに惹かれて5月に購入し100頁くらい読んで放置されていたものを読んだ。(なお、読み終わってはいない。)フランス文学者で神戸女学院大学の名誉教授である氏のブログや既刊雑誌への投稿を構成したものであった。
書評や本紹介を書く気はないので、なるほど面白いと思った部分とかに言及しつつ、テキトーに書き連ねたい。

まずは、なぜタイトルに惹かれたのか。
本の冒頭で取り上げられていたため、だいぶ前に読んだのでほぼ忘れてしまっていたが、タイトルから直観的に想像したものと概ね合致していた。日々の生活の中で、世の中が短絡的になりすぎているという漠然とした危機感を感じていたが、氏は、それを「サル化する世界」と表現していたわけである。まえがきから引用すると、「『朝三暮四』におけるサルの論理形式を内面化した人たちがいつの間にかマジョリティを形成しつつある世界」である。

目に見えるもの・わかりやすいものに走る傾向にあり、それが進行しているということだと理解している。学生時代からポピュリズムという現象というか概念に興味があったが、それとも密接に関連している。そして、そういった傾向は、ますます加速している気がしてならない。(無論、自分も含めてである。)例えば、SNSの力はとてつもなく大きく、気づいたら、たった6秒の動画でないと受け入れられない世界となっているのではないか。(さらに新しい流行については知らないが。)流行りもバッシングも、瞬時に盛り上がり、瞬時に消えていく。(近年の(スマホ普及後の?)加速化した消費社会を『秒速消費社会』とでも言いたいところである。ただ言いたいだけで概念定義は全く煮詰まっていない。)
全てのものが消費されるためにあり、それ本来の価値如何ではなく、消費されるか否かに左右される。つまり、その真価によらず、大衆に好まれるかどうかによる。それは消費社会のルールではあるが、『秒速消費社会』においては、自ら吟味する時間が短くなっていないか、という懸念である。
(もっとも、消費されるか否かが、そのものの真なる価値であると考えることもできるのであって、消費されるものが必ずしも良いものではないという考え方は、そもそも、大衆への懐疑(言うなれば蔑視)が根本にあると言っても間違いではない。ただ、自分は「大衆」とは異なり賢いんだとかそういうことが言いたいわけではなく、大衆消費社会の傾向の話である。)
なにかの商品がそういう傾向にあるのは、なにか寂しい気もするだけで、消費社会に生きる以上、仕方のないことであるが、特に、消費の対象が「情報」であるとき、注意が必要ではないだろうか。つまり、真実か否かではなく、好きか嫌いかで情報の価値(時には、社会に受け入れられる真偽)が決まってしまうことになる。そして、主たるメディアがSNSである『秒速消費社会』では、自分の好き好む情報しか集まってこなくなり、いわゆるecho chamberも起きてしまう。

この傾向は、とても危ういと感じる。それは、簡単にデマに惑わされる、デマゴギーに扇動されるおそれがあるということである。今日、(良くも悪くも?)ポピュリズムが流行る所以である。
ただ、一方で、この人間社会で重要なのは、モノ自体の真価(というものがあるとして、)ではなく、そのモノが社会的に(すなわち、多くの人に)どう評価されているかである。というのも事実だと思われ、近年の傾向を手放しで非難する気にはなれない。(まったくの嘘が多くに信じられて社会的事実になるということを是とする気もないが、多くの人が信じていることが評価される状況は避けられないと考える。)
もっと言えば、僕個人としては、つまるところ、自分がどう感じ・どう考えるかが生きていく上で大事だよなぁ…というのが最近の信条、もとい心情であり、そうすると、(真偽を問わず)多くの人に信じられていること・受け入れられていることが、自分のそれと合致するのであれば、昨今の傾向に懸念を抱くことはなくなるのであろう。そして、「自分がどう感じるか」に多分に影響するのが、他人がどう評価するかであるというのも、また事実なのである。

自分でも何を言っているのかわからなくなりつつあるが、これはこうだ!あれはああだ!と単純に断定することはできないということであって、そのことを常に認識しておきたい。(そういう意味では、本を読みながら感じたのは、物事を単純化して捉える傾向への懸念ということかもしれない。)


件の本では、他にも、(外国語)教育の意義とかコミュニティの強みとか、示唆に富む話がたくさんあった(まだ読み終えてはいない)が、それについてはまたの機会にしよう(たぶんない)。


追伸:写真に特に意味はない。いつか飛行機から撮ったもの。

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