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結局、フードロスとは何なのか。

 先日、法政大学経営学部教授の長岡先生の主宰する長岡研究室のイベント、カフェゼミ 53rdに参加してきた。
テーマは「フードロスって何だろう?」

 学生のためのサードプレイスというコンセプトのもと、行われたこのイベントには研究室に所属する学生だけでなく、他大学の学生、高校生、社会人、はたまた僕のようなニートまでもが参加していた。
開催場所はあの東京駅からほど近い場所にある大手町のオフィスビル、その一角に作られたインキュベーションセンターのような場所

そこで話されるテーマはフードロス。
何が悪いのか、何がダメなのか。何をすると何が起きるのか。

 地球規模課題の難しさは、絶対的な正しさがそこにはないということだと思う。
例えば先日、このようなニュースが流れた。
「安倍首相、国連演説を断られる」
記事のタイトルだけ見ると、「あーあ、首相が何かしでかした」そんな見方ができるが、内容を見てみるとこんな事が書かれている。

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 深刻さを増す地球温暖化に対処するため9月に米ニューヨークの国連本部で開かれた「気候行動サミット」で、日本政府が安倍晋三首相の演説を要望したが国連側から断られていたことが28日、分かった。二酸化炭素(CO2)の排出が特に多い石炭火力発電の推進方針が支障になったという。主催したグテレス国連事務総長は開催に先立ち「美しい演説ではなく具体的な計画」を用意するよう求めていた。

 複数の政府関係者が共同通信に明らかにした。日本は、安倍首相が演説し、6月に議長を務めた20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)の結果を含めて報告したい意向を伝えて協議したが断られた。
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2019年11月29日, 共同通信
URL: https://this.kiji.is/572891566403535969?c=113147194022725109

 つまるところ、感情に訴えるようなことばっかしてないで具体の話をしろ。といったところだろう。新しく開発された石炭発電システムは従来の性能を凌駕するものだといった話をしようとしていたらしいが。9月に行われた気候行動サミットといえば世界的なムーブメントとなった、グレタ・トゥンベリさんの演説が行われたあの会議だ。まだ見たことがなければぜひリンクを張ったので見て欲しい。

 話を戻すと、単純に善悪で語れる話ではないということだ。これは良くないことだからやめようといった具合に話は進まない。
例えば、Co2の排出量を規制するために自動車メーカーに課税したとする。当然、メーカーは課税分の利益を生むために消費者に負担を強いることになる。強者に対する制裁は回り回って弱者へ大きな負担となってのしかかる。

このフードロスでも同じようなことが言えると思っている。僕の持論はこうだ。

 フードロスできる選択肢がある人々=経済的な豊かさが保証されている人々と考えられる。1000円分の食料を買って200円分捨てようが困らない。そういった具合だ。しかし、そういった人々の支援によって、多くのフードバンクは機能しているのではないだろうか。豊かさが享受されている人々によってその下の階層にいることを強いられている人々は結果的に救われている。それはドネーションのしくみとは言えないだろうか。がしかし、経済に関して詳しくない。

 とすると、そういった人々の存在を悪と断定し、改善させる方向に持っていくことは果たして本当にいいことなのだろうか。基本的に人間は愚かないきものだと思う。楽したいし、苦しみたくない。その思考の果てに現在のフードロスという問題が生まれてきたとも言えるのではないだろうか。 

 一見、フードロスという問題は、「もったいない」という意識の延長にあるもののように見えるが、その背景にはドス黒いほどの色々な立場の人々の思惑が交錯しているように感じる。
 その一方で、こうした問題に関心を持ち、自分の中で問題から課題に変化していく過程を楽しめる余裕が日本人には最も必要で、何を持続させるにも重要なキーワードになるのではないだろうか。

 

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