生まれ変わったあの日(始まり)
大学生2回生の時、私はクリスチャンになりました。
ニュースで報じられていたような危険な団体ではなくて、普通の正統派のプロテスタントクリスチャン。
教会は、十か国以上のクリスチャンの学生や社会人が礼拝に通う、インターナショナルな教会。兼カフェも経営している珍しい場所です。
(生麺を使ったもちもちパスタとこだわりのカフェラテがとんでもなくおいしい。。)
教会では、インドネシア出身の親友が彼女の文化である「手でご飯を食べる方法」を教えてくれたり、ちょっと落ち込んでるようなら牧師さんが「どうしたの~~!」とハグをしてくれて、
それぞれの母国語で歌を歌ったり、励まし合ったり、不思議な空間だけど、家に帰ってきたみたいな温かい場所です。
そして、私の心の中の大切な大切な存在であり、拠り所です。
このインターナショナルな教会と出会ったきっかけは、針の穴に糸を通すよりもピンポイントな出会いとその時与えられた機会に「YES」と従う選択をしたからこそ、たどり着けたと感じます。
そして、この選択は私に大きな幸せと安心感を与えてくれて、私の人生の大事な基盤となりました。
当時クリスチャンではなかった自分が、教会に行きクリスチャンになる選択をするまでのストーリーがなんとも不思議で奇跡的なので、お話していきたいと思います。
(これは、宗教観念からの価値観の押し付けではありません。
実際の話ですが、小説の中の1つの物語を読むみたいに気軽に見ていただけたら幸いです。)
まず、この「選択」をするために必要であり、起こるべきであった土台となる出来事があります。
それは、中学生時代に英国派遣事業としてイギリスに行った時、高校生の時に1年間ニュージーランドに留学する過去にまでさかのぼります。
一度に書くと長くなるので、4つのシリーズに分けて投稿して
書いていきたいと思います。
①生まれ変わったあの日
②留学編
③教会編
④最終話
早く結末が見たい方は、最終話の投稿を見てみてください。
自分を変えるためにイギリスへ
今でこそ、私は英語を使って色んな外国の友達と関係性を築けて周りから見ると「社交的な人間」に見えますが、実は中学生の時から、すごく引っ込み思案で友達と呼べる存在は0に等しかった過去があります。そして、当時それが自分の中のほとんどを占めるくらいのコンプレックスでした。
人の雰囲気、表情、言葉の裏側を敏感に感じ取ってしまう。
物事を深く考えすぎるが故に、相手の顔色ばかり伺って、萎縮してしまい
自分の素を出すことがとにかく怖い
いわゆる、私は現代でいうHSPという気質を強く持っています。
昔は、うまくこの特性との付き合い方が分からなかったことから、ろくに人間関係が築けず、
そのことが、自分をずっと苦しめていました。
学校での自分の出し方が分からない。表現しようとしても、変に緊張して空回ってしまう自分が情けなくて恥ずかしい。それがトラウマになり、さらに自分を殻に閉じ込めさせ、変に思われないかに必死に神経をとがらせる毎日でした。
そんな荒んだ中学生2年生の時に、1つの募集が私に舞い込んできます。
それは、『英国派遣事業』と言って、市内の各学校の代表たちが、イギリスの協定校に出向き日本文化を伝え、イギリスで学んだことを自分たちの町に還元するという市のプログラムの募集でした。
その時、ただただ純粋に友達に誘われて説明会に足を運び、人生で初めてビデオレターでイギリスでの光景をみました。田舎の県でも、そのまた田舎に住んでる私は、見たことのないロンドンの厳かな建物や先輩たちが楽しそうに異文化交流をしている姿を見て、衝撃を受けました。こんな魔法みたいに楽しくてファンタジーな世界が本当に存在するんだ..と
その中でも、
『もっと積極的になれた』
『明るくなれた』
『みんな変わって帰ってきた』
という先輩たちのポジティブな言葉が強く印象に残りました。
「まさに私がなりたい・こういわれたい言葉だ!」
私は直感的にこれだ!!と思いました。
この事業は、市のプログラムで、協定校の代表の派遣団員としてイギリスに1週間滞在するというものなので、決して遊びに行くわけではありませんでした。
イギリスの学校では、日本文化のプレゼンもしなければいけないし、積極的に異文化交流をすることが目的です。そのため、応募審査も厳選された生徒しか通過できません。
Speech(スピーチ)
Self-introduction (自己紹介)
Presentation (プレゼンテーション)
が大の苦手なHSPの私にとって、こんなに苦痛なことはありませんでした。でも、応募説明会で見た外国のキラキラした雰囲気や先輩たちが一回り成長してきた姿をみて
ワクワクの気持ちが全てを凌駕してしまいました。
私は絶対ここに行く!
そして自分を成長させる!
挑戦してみよう!
そんな気持ちで思い切って応募しました。
そこからは本当に不思議なことに、全てとんとん拍子に物事が進んだのです。
第一次選考は作文
お題は「この派遣事業に応募した理由」でした。
これでもかという熱い気持ちをペン先にのせ、用紙に想いを込める。
結果は無事通過!
第二次選考は日本語と英語の面接
日本語でも、英語でも何者かが乗り移ったみたいにハキハキ堂々と突拍子のない質問に対しても答えることができて、総合結果は無事合格でした!
当時、英語は大の苦手でした。
長文問題は一文読んだら読む気が失せたし、リスニングは内容と全然関係ないことを考えてしまうし、確認テストは30点だし。
応募結果に驚く身内、戸惑う担任(笑)
何倍もの倍率をくぐり抜けて、この派遣事業の応募に合格するという事実は奇跡が起ったとしかいいようがありませんでした。
玄関先に届いていた、分厚い資料が入った合格通知書の重みと
あまりうれしさを表現しない父が合格届を見せた瞬間、膝から崩れ落ちて喜んでいたのを今でも覚えています。
そしてその後、他の学校の生徒との研修や、プレゼンテーションの準備を経て、イギリスへ旅立ちました。
イギリスでは2つ発見したことがあります。
それは、
●「英語を話すこと」が、自分は楽しいと感じるということ
●知らない世界へ冒険することが好きということ
頭の中で単語をつなぎ合わせ
文にして適切な場面で形にする。その瞬発的なやり取りが楽しい!
初めて自分の英語が通じた瞬間、まるで車をうまく運転できたかのように
快感でした。
そして、色んな人種の人たちとの交流、海外の独特な香り、街並み、食べ物、雰囲気どれもが新鮮で
その時の私にとって、一つ一つが刺激になりワクワクへと変換されていきました。
事業自体苦労もあったし、食べ物が合わなくて2キロ痩せて帰ってきましたが、まるで自分の冒険マップの世界の一つをクリアしたかの如く、すごく楽しかった感覚だけが心に残りました。
結果を言うと
私は、この英国派遣事業を通して
自分自身の本来の目的だった、『内向的な自分を完全に変える』ことはできませんでしたが、この経験は、次の新たな選択をするうえでの
大事な鍵になります。
②に続く
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