管理職とは何だったのか

2~3年前、「管理職の仕事は何だと思うか」と聞かれたことがあった。
その時にどう答えたかは忘れてしまったが、言語化すると以下のようなことだったかなと思う。

  • 経費または売り上げを最大化するために物事を考えること

  • 考えたことを踏まえて、それを実行できるよう周りを導くこと

  • 導いていく中で後進を育てていくこと

2~3年前は、まだそれなりに管理職というものに、世間的にも自分の中でも憧れのようなものがあったように感じる。ここ最近、驚くほど急激に、管理職の熱が下がってきているように見える。

データでみる管理職

下記のリンク先には、日本国内における管理職の割合及び、女性管理職の割合が出ている。

例えば、統計学者の本川裕氏が国勢調査をもとに狭義の管理職数の推移をまとめたデータを見ると(図表1)、管理職の割合は1980年の4.7%をピークに長期的な低下傾向を示しています。2005年にはピーク時の約半分である2.4%にまで低下しています。男女の年齢別のデータ(図表2)から男性の1995年と2015年の数値を比べれば、1995年に50代前半で11.1%だったものが、2015年にはなんと5.0%と約半分になっています。

プレシデントオンライン

興味深いことに、管理職の割合は減っている。
管理職の成り手不足と言われているが、成り手不足で減っているのか、そもそもポストが減っているのどちらだろうか。

主に、生産性と専門性の観点で考えてみたい。

生産性

技術の進歩は目覚ましい。1980年と2020年を比較すると、PCのスペックやネットワークといったいわゆるICTは大きく変わっている。
そうなると、単純に考えれば、人的な管理コストは大きく下がっている。
例えば、誰が何時間働いているかなんて勤務管理システムを使えば一発で分かる。
誰がどんな活動をしているかも、メールやチャットツールの同報に含めて貰ったり、コミュニケーションツールに書き込んで貰えば大体把握できる。

共通言語と最低限の読み書きができれば、大それた管理は必要なさそうだ。

それであれば、管理職の負荷は下がっているはずであり、多くのポストは不要だから減ったと考えるのが自然である。

他方、ICTの普及は効率的すぎて、一人当たりの労働量が増えている可能性がある。例えば、MicrosoftのOutlookとTeamsさえあれば、非管理職はいくらでもミーティングの予定を入れることができる。
それに生産性があるかどうかは別として、働こうと思えば昔の人の何倍もの作業ができる。

どちらかというと、一人一人が正しい方向を向いて仕事をしているか、その動きを理解することや、もしズレがある場合には正しい方向を示してあげることが求められそうだ。

専門性

どうも、みんな管理をしたがる。しかし、どこか中身が薄い。個人的にここ数年の中で疑問に持っているのは、管理における専門性の軽視である。

専門性は、その人(または限られた集合)にしか出来ないこと、と言える。専門性が高いということは希少価値が高い。
最近では機械学習やディープラーニングに関する手法を理解したり、それを活用してビジネスに対する貢献ができる人は専門性が高く市場でも評価される。

では、AIの専門性を有している人は、一体誰が管理できるのだろうか。

ジョブズが1985年のインタビューで語ったところによると、彼や他の共同創業者たちはアップルが大企業になると分かった時、プロのマネージャーをたくさん雇ったという。
だが「まったくうまくいかなかった」とジョブズは述べた。
「彼らのほとんどが愚かだった。管理する方法は知っていても、何かを成す方法を知らなかった。優秀な社員が、何も学べない人の下で働きたいと思うだろうか」

Business Insider より

当時のアメリカの状況と今の日本の状況は異なるだろうが、少なくとも日本の高度経済成長期と比較すると、共に不確実性が高かったのではないか。

高度経済成長期は、一億総中流社会という言葉を作り出した。
作れば売れるから、設備投資も惜しまないという時代だそうだ。
今の雑巾を絞るようにコストを下げていく製造業からは想像がつかない。
もちろん、当時の人たちも相応の努力はしていたのだろうが、「作れば売れる」という前提があるだけでも物事のアプローチは変わってくる。

極論としては、「過去の成功を踏襲して、それに何らか改善を行う」をたくさん実践すれば良い。

今の時代はどうか。大量消費の対象は居ないし、マスメディアに流される人は減り流行も作りづらくなっただろう。作ったとしてもすぐに変わる。

この状況下では、新たな技術や概念が更新され、ビジネスで求められる専門性も多様化してくる。正攻法も無い。

一体、この前提で何を管理すれば上手くいくのだろうか。全く新しい世界を踏み出す際に引いたガントチャートの線は、その長さも太さも根拠を持たない。

じゃあ実際のところ何が仕事なのか

管理職の仕事として、「数字や論理だけでは帰着できない判断をすること」は残りそうだ。今の時代、本気を出せば情報はいくらでも集まる。調査によって数字を集めることもできるし、ICTにより自社の状況も数値化できる。

数値化から得られる結論は誰がやってもよい。しかし、数値から導き出される選択肢から、最終的な判断をするのは経営者のみだろう。

自社が進むべき事業や業界はどちらか。
単に利益率だけでは判断できないとして、シナジーという言葉にどれだけの重きを置くか。
社会的な責任にどれだけコミットするか。
災害が起きた時、どのような貢献をすべきか。

などなど、損益分岐表だけでは判断できない要素はいくらでもある。

まとめ

管理職は敬遠されている。実際、管理職のポストは減っている。それ以上に、管理職にはなりたくないという人が増えており、需給のバランスは崩れているように見える。

生産性を高めるという観点からは、管理職による単なる人的なリソース管理という側面は失われている。どちらかというと、一人一人が正しい方向に向かっているか、導く役割の方が強そうだ。

専門性という観点では、もはや制御不能ではないか。専門性を軽視しすぎた。若い世代が大学で得た高い専門性を、本当の意味で評価、人的活用できる世代は若い世代だけだろう。

そうは言っても、最後は経営的側面で「データだけでは決められない」仕事は残る。
最後はその人たちの拘りや、論理的に帰着できない事情に依るものが残るはずだ。

残った仕事の価値が、人間が担うに正しいものであることは願う。

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