見出し画像

今日も生きている

昨日に掲げたタイムテーブル?テーマに沿った投稿を進めていきます。

曜日ごとのテーマ
月曜日は「元気」「活力」
火曜日は「学び」「知識」
水曜日は「楽しい」「ワクワク」
木曜日は「疑問」「自問自答」
金曜日は「エンタメ」
土曜日は「食」
日曜日は「リラックス」「回復」
11日「大切な人」「想う日」
17日「生きる」「伝える」

という事で今日は「生きる」について…って書くと堅苦しくなるけど大切なテーマです。

テレビや新聞だけに限らず、皆さんがご覧になられているスマホやネットの普及によって、情報の量が半端なく多いです。

最近大きく話題になったのは「虐待」と「白血病」についてですが、物事の本質より背景や取り巻く環境や発言に対する目の光らせ方がとてつもない。

仕組みや政治家や発言を批判しても、時間は元に戻らないし、今より良い世の中になるとも思わない。でも間違っていると思う事は主張してもいいし、言論と表現の自由だと思います。

私は日頃から、自分の思う通りに物事は進まないと思うし、自分が絶対正しいと思わないようにしてるし、みんなが寄ってたかって同調するというか、特に「辞めろ」という発言に対してはものすごく反射して反対勢力に回ります。

社長、政治家、ネームバリューのある人、責任のある人…

確かに責任の取り方は「解任」「更迭」「辞任」ではあると思います。

私は以前にもこういった投稿をしました。

しかしいつも思うのは「辞めても元には戻らない」から、今より良くなるとか明るい見通しが立つまで責任を持ってから退く事がいいと思うし、誰しも責任のあるポジションにつくための努力はしてきた訳で「他人に辞めろとか言われんでもわかってるわ!」って私なら言ってしまいそう。

コレを読んで下さってる皆さんというより、周りでこういった「辞めろ」とか言ってる人について勝手に考察というか決めつけた発言になりますが…

今まで生きてきた中で、誰しも「失敗」をしながら生きている。但し、人を傷つけたり、時には命を奪ったり、意図や意思に反した行動によるものもある。もちろん、誰かが傷ついたり命を失う事は避けたいが、「辞めろ」が正義ではない。私からすれば「辞めろ」は言葉の暴力だと思います。

自分の思うように、自分が望む未来になる事が良いと思います。でも日頃から自分の思うようにならない事が多いし、それがあるからこそ「人生はおもしろい」訳で、私がテーマにしている「想像を超える創造」はまさにそういった場面から作られているので「想創家」を名乗っています。

困難な事があったり、理不尽な事があったり、思うようにならない事の方が多いのは、それだけ周りに合わせようとしていたり、周りに気配りが出来ている訳で、ストレスや愚痴もあると思います。

おかしいと思う事は思った時に言った方がいいし、言いにくい場合は自信を持って言えるような行動で示せばいいし、みんながおかしい私が正しいと思う場面が出てきたら、新たな気づきだと思う。

「そういうつもりじゃなくて」も誰かを傷つけた事は誰しもあると思います。状況によっては「辞めろ」が「人生を辞めろ」って受け止める事もあります。

暴力そのものに理由があり、その理由を取り除けるように環境を整備して、誰が上とか下とかではなく、自由に意見や表現してもいいけど、他人の心の中に土足で立ち入る必要はない。

恨みや憎しみのような感情が生まれる背景についても同じでしょう。誰かをすぐに悪者にするのではなく、自分も間違ってないかなぁ?と振り返る事でも、いじめなどもなくなると信じてます。

今日も生きてます。皆さまにとって最幸の一日になる事を祈ってます!

オープンでフリーのノートとマガジンです。