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繋がっていくこと

以前noteの記事に書いたお友達のきょうこちゃんからの繋がりで、愛媛県に住んでるエリーさんという人に、恋愛のことで悩んでいたのでセッションをお願いしたことがある。

恋愛が上手くいってる人とそうじゃない人の違いについて質問したとき、上手くいかない人について「いろいろな要素が絡んでくるのだけれど、妄想とコミュニケーションをとってそこで自己完結してしまうことが多いよね。それだと停止するからそこで終わってしまう。」と言われてハッとした。

そうそうそう、自分で勝手に相手の気持ちを考え脳内で勝手に相手の出方をシミュレーションし、いやぁ、これはやっぱり無理そうだから、やめておこう、とか行動を起こす前に諦めてしまう。

自己完結。

あと、自分の中での優先順位の話になり、恋愛とかの相手について、居たら居たでいいなぁとぼんやりと思ってる自分と、高校生の頃から、結婚したい、そのためにどうすればいいかを考えていた、(相手もいないのに)というエリーさん。
人生でのファーストプライオリティーの違い。
結局自分がいちばん優先したいことを優先させてるんだよ、という話になった。

人見知りで、人と仲良くするの苦手でーとか言って、自分から輪の中に入っていこうとしないのも、「仲良くなる」より「自分が傷つかない方」を優先させてるんだろうな。

一人だと傷つかないし、平穏に過ごせるのかもしれないけど、やっぱりどこか寂しい。

人はひとりで生きていけない、という言葉があるように、誰かと関わりあって、そこで生まれるもの、支えになるものがあるのかもしれない。

閉じている世界。
誰かと関わるのって、自分の内側を開いていくことなのかも。

家族間の問題も、こちらが勝手に問題だと捉えてるだけで、実際そんなに大したことは起こっていないのかも、と感じることがある。

母と兄に対して、金銭感覚が合わなくて、以前から衝突することが多かった。
母は兄のためとか、困ってる人がいると自分の有り金を出す人。
そして足りなくなったら、私達姉妹に泣きついてくる。

この間も、同じようなことがあり、もう我慢できないと思って、距離を置こうと思った。
そう心に決めたら、フッと心が軽くなった気がする。
線引きというのか、ここまでは出来るけど、これ以上はできない、たとえ家族でも。
勝手に私がやってあげないとお母さん大変だし、とか考えて無理して実家に通ったりしてたけど。距離をおくと決めたら、もう嫌々行かなくていいんだ、と思った。

あのまま二人を可哀想な人認定してたけど、それも私の思い込みだったのかも。
全然可哀想ではなく、むしろ幸せなのかもしれない。

離れても、心の中には居てる。
母と兄に対して、温かい気持ちになったのは久しぶりかもしれない。
たとえ別れてもその人と一緒に生きていく、自分の心の中にはその人が居てる、と以前大島ケンスケさんが言ってたことを思い出した。

誰かと出会う、別れる、一緒には居ないけど、出会った事実、経験したことは私の中にずっと在り続ける。

そんなことを思った。



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