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サッカー指導者をやる理由




「サッカーの指導者って稼げるの?」
「サッカーの指導者って大変じゃない?」


この2つがサッカー指導者という職業に対する
一般の人の純粋な疑問である。


実際に何度も言われたことがある。


それは単純な「心配」という意味もあるし
「それで人生大丈夫なの?」という
余計なお節介も含まれる。


もちろん高級取りの職業ではない。



以前、SNSの記事で
【街クラブのサッカー指導者の平均月収は7万】
と出ているのを見かけた。


正確な金額ではないと思うが、
まあ全国的な相場はそんなもんだと思う。

サッカー指導者という職業は
一言でいうと「低賃金で大忙し」だ。

サッカー指導者の仕事は何かというと、
練習メニューや試合の戦略構築を含め
「指導現場で力を発揮し選手を伸ばすこと」
最も問われている能力、使命。(と僕は思ってる)

しかし、それ以外にも
毎月、毎週、複数カテゴリーの練習試合等
予定を組んだり、大会のエントリー業務、
会場の確保・支払い、保護者対応、
ホームページやSNSの更新、
選手の送迎や遠征になると様々な段取りもある。


何より土日は朝から夜まで3カテゴリーが
合間1時間程度しかない中で
場所も変わりながらの活動は当たり前。

遅い日の帰宅は23時になることも。


それを平均月収7万円でこなす。


それがサッカー指導者という仕事だ。


確かにそう考えると
「サッカーの指導者って稼げるの?」
「サッカーの指導者って大変じゃない?」

の疑問はあって当然。


だけど、
それでも僕がサッカー指導をやる理由はなぜか。


自分の頭を整理するためにも
今回の記事を書いていこうと思う。


僕は小中高大と、プレーヤーとして
サッカーをやってきた。

素晴らしい指導者の方々と仲間に恵まれながら
楽しく本気でサッカーに取り組んできた。


大卒後は欧州2部リーグで2年プレーした。

この欧州での2年間の経験で感じた
「サッカーへのギャップ」
サッカー指導に至る全ての始まりである。


それは「欧州人と僕」のギャップでもあるし
「欧州人と日本人」のギャップとも捉えた。

簡単にいうと、

「欧州人はサッカーのコツを知っていて
 日本人はサッカーのコツを知らない」


コツというのは、
【プレーの原理原則】と捉えていただきたい。


もちろん、当時の僕自身が未熟で
サッカーのコツを知らなかったのであれば
それは申し訳ない。

ただ、今でも覚えているが、
その時に痛感したことは
「日本人全体がサッカーのコツを知らない」
ということだ。


今でこそ、欧州でプレーするトップレベルの
日本人は当たり前になってきているが
それでもまだまだ足りないと感じる。


例えば僕がプレーした国は
フィジカルを重視する
サッカーの文化があり、
戦えない奴はいらない的な
スタンスのある国(リーグ)だった。

対戦相手のFWやCBは190㎝代は当たり前で
調べると平均身長が高い国ランキングで
その国はオランダに次ぐ、世界2位だった。

国民が全体的に大きいのだから
サッカー選手はかなりの大柄ばかり。

そんな中、当時のチームメイトに
36歳のベテランがいた。
彼の身長は175㎝程度しかないDF。

彼は足も遅く、年齢のせいか体も少し重い。

だが試合ではいつもスタメンで使われていた。

彼が凄かったのは「守備力」だ。

守備力というと、
日本人はヘディングの強さとか球際の強さ
対人能力の強さを真っ先に思い浮かべるだろう。
(もちろんそれらもプロなので
人並みには兼ね備えていたが)

彼は何よりピッチ上で
予測を張り巡らせ先手を取るポジショニング
次々と相手の攻撃を封じることができていた。

ドリブルで向かってくる相手には
いきなり止まり、ぶつかってボールを奪う。

「なんだこれは…」

僕は驚いた。

日本ではドリブルしてきた相手には
「スピードを落とさせるために
 一緒に下がってついていきなさい」
「一発で足を出すな」と一般的には教わる。


しかし彼は全て真逆の行動を取っていた。

「下がらないで止まり、一発で足を出して
 ボールを刈り取っていた」
のだ。

もう一度言うが彼は足が遅かった。

しかし彼は無駄のない動きとポジショニングや
局面の強さ、ボールを奪うコツを持っていて
いつも安定したプレーを見せていた。


その時に僕は感じた。

「俺、全然サッカー知らないな…」
「知らなかったんだな…」



それ以外にも欧州で学んだことはたくさんある。

特に彼ら(欧州人)の
「守り方と攻撃時のポジショニングの良さ」
が本当に素晴らしかった。


僕は本当に毎日疑問だった。

「これは小さい頃から教えられているのかな?」

「いつもテレビでサッカーを見ているからか?」

「日本人の方があきらかに技術が高いのに
 サッカーが下手なのはなぜだろう?」

「欧州人は日本人ほど技術は高くなくても
 サッカーが上手いのはなぜだろう?」



今になってはっきりと言えるが
サッカーは自由にプレーを選べることは魅力だが
その瞬間に最適解のプレーは存在する。



当時は
「え?俺は今まで感覚の延長でその場しのぎの
 プレーを繰り返していたの…?」
と、自分自身で過去を疑っていた。


今まで日本で僕に携わってくれた指導者を
悪く言うつもりは全くない。

しかし、サッカーの正しい原理原則を
きちんと教えられた記憶はそう多くなかった。

教えられたことはあるが、もっと様々な局面で
その種類の豊富さを知りたかった…
という感覚だ。


「サッカーは自由にプレーできる」
という言葉が都合よく一人歩きし、
僕も自由という言葉に甘え、
〝感覚〟〝非効率なプレー〝
していたと思う。

(もちろんサッカーは感覚も重要なんだけど)

しかし、はっきりと身を持って学んだ。

自由にプレーするためには
原理原則をみっちり学んでおかないと
サッカーは本当の意味で楽しめない

日本の子どもたちにも
サッカーを整理して〝正しく〟
〝楽しさ〟を伝えなければいけない


これが指導者になることを決意した
全ての動機である。


僕は日本へ帰国後、
スペインメソッドでサッカー指導をしている
指導者グループに出会った。

タイミング的にもかなりの幸運だったと思う。


その人達の指導を初めて見た時、

「なんてわかりやすいんだ!!」

最初に感じた印象はこれである。


トレーニングのオーガナイズ、
使う言語、シンプルさとテンポ、
トレーニング全体を通す中で
伏線を回収していくような芸術的な意図。

全てがその時の僕にとってドンピシャだった。


そしてその人達が教えてくれる
コーチングアカデミーという講義にも1年間通い、
メソッド論、技術論、戦術論、フィジカル論を
一通り徹底的に学んだ。


そこで僕は確信した。

経験した欧州とのギャップと
この指導メソッドを掛け合わせることができる…


つまり、
自分が選手として欧州で感じた違和感を、
スペインの指導メソッドと掛け合わせて
自分の頭の中で整理していくことで
未来の日本人選手を救うことができる。

ということに気がついてしまった。

そうなればやらない理由はないし、
僕は一気にサッカー指導にのめり込んだ。

まるで自分にしかできないことかのように
毎日張り切ってグランドに出て
自分がやらなければ日本サッカーは強くならない
くらいの思いでやっている。(結構本気)


サッカー指導歴は5年目だが
今でも毎日のトレーニングが楽しみだし
週末の練習試合や試合はワクワクする。


それは最強のメソッドを
駆使できるようになったことで
選手を成長させられる自信と確信があるからだ。


だが時々、現実に戻って我に帰る。

「低賃金で大忙し」でいいのか。
この先いつまでできるんだ。

と弱気な自分も突如出現する。


生きているうちは
もちろん自分が幸せであるかが大切だ。

人生はお金が全てではないと思うタイプだが
お金が必要な時期も今後来るだろう。


でもこのような仕事をしていることもあり、
僕が思うに自分の人生は
「何をやるか」とか「いくら稼ぐか」よりも

「未来に何を残していけるか」


の方が重要だと感じる。


皆さんが働いている仕事も
「誰かの未来の何か」になっているはずだ。


老舗のラーメン屋であれば
何世代もその味をお客様に残し続けて
ラーメンを通して喜んでもらうこと。

モノづくりであれば
いい商品を維持、改良する中で
人にとって役立つものを残し、
その人の未来の生活を快適にすること。

学校の先生であれば子ども達に
社会で生きていく上で必要な学力だったり
人間関係や社会性などを教え、
未来の人生を生きやすくすること。

がそれぞれの仕事だ。

全ての仕事が必ず誰かの「未来」を助けている。


では、サッカー指導者は何を未来に残せるのか。

サッカー指導者(育成年代)が
関わる人のメインは「子ども」である。

サッカーを通じて
子どもをどんな未来に導いてあげらるのか、
または救ってあげられるのか。

を考えた時に
僕の思いは2つある。


一つ目は

サッカーというスポーツを通して
人生が豊かになってほしい

ということ。

サッカー人生で出会う仲間、コーチ、関係者、
支えてくれる家族のありがたみを感じたり、
喜びや悔しさを感じる中で
人に優しくなれたり、強くなれたり、
色んな人との繋がりを作って
もしサッカーを辞めてしまっても
サッカーから学んだことを最大限生かして
幅広い考え方を身につけて
その他色々な分野でも人生を豊かにしてほしい。

まずはこれが大きな願いである。



そして二つ目。

サッカーを本質から理解し、
サッカーを上手くなってほしい

ということ。


僕が選手の時に実際に感じた違和感や悔しさを
子どもたちには味わってほしくない。

きっと僕だけではなく、
日本には僕より才能のある選手も
壁にぶつかり、そこから解決できずに
サッカーを諦めていく人が多い。

大袈裟かもしれないが、指導者となった今、
子ども達の未来のサッカー人生を
救うことが自分の使命だ。


僕はよく、小学生年代において
「上手い選手」を注意して見ている。

なぜならどんな選手でも
〝今〟上手い選手は今後必ず壁にぶつかるからだ。

壁にぶつからない選手は
生まれながらにメッシのセンスや
ハーランドの身体能力を
生まれ持った人間のみである。

それ以外の選手なら必ずどこかで壁にぶつかる。

それは技術的な壁かもしれないし、
身体的な壁かもしれない。

しかし、サッカーのコツを小さい頃から
学んでいれば、または解決する思考力を
備えていれば、ある程度の壁は越えられる。


つまり、
今が上手い選手の未来に来る壁は何か。

少し先の未来を見据えて、そのような選手には

「今はこれが上手くいってるけど
 これもできておくといいよ」

「このプレーは成功したけど
こうやらないと今後できなくなるよ」

と、時には〝成功しているプレーでも指摘する〟
ことがある。

これには賛否両論あると思うが、
教えられないことで
選手が消えていくのは避けたい。


何度も言うが、
サッカーは原理原則を叩き込んでおかなければ
本当の意味でサッカーを楽しめなくなるからだ。

もちろん、上を目指す選手への話だが。


僕個人の意見だが
日本サッカー界は曖昧な指導
理論が通ってないのに指導者の圧力だけで
やらせる指導、または抽象的な言語が多い。


きっと、しっかりと理論を持ち
1〜100まで教えられる指導者が少ないからだ。

ただ一方で、サッカー指導には
正解がないのが面白い部分でもある。

でも、だからと言って
曖昧でぼんやりした理論を
適当にふわふわ浮かべたまま
子どもたちにサッカーを指導したくはない。

というのが本音である。


なぜなら肌で感じたから。
欧州人のサッカーの上手さを。


まだ僕もサッカーの全てを
教えることはできないが、
いつかその領域に辿り着ける自信はある。



そして最後に、
僕の野望を言わせてもらうと

〝日本サッカーを強くしたい〟

〝日本代表のW杯優勝が見たい〟


ということだ。



さらに欲を言わせてもらえば

〝W杯か欧州チャンピオンズリーグで
 プレーする選手を教え子から輩出する〟


ことが僕の密かな夢だ。


もちろん、自分1人の力で
そんなに大きなことは成し遂げられないし、
一生叶わない確率が高い夢でもある。

しかし、そこに基準を設定することで
日々自分で自分を引き上げていきたい。

そして、日本サッカーが強くなるためには
育成年代の指導が非常に重要である。

これは日本サッカー界全体で仕組みを
大胆に変えていくことも必要かもしれない。


ただ微力ながら、自分は北海道の札幌という街で
常に色々なモノからサッカーの最先端を学び、
現場のレベルと擦り合わせて指導し続ける。


そうすればいつか日本がW杯で優勝した時に
1ミリくらいは自分も貢献したと思えるから。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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