見出し画像

心地よい場所を探していただけ 〜走光性を忘れた悲しい生き物〜

(今日これから書くことと上記の記事は本質的にはあまり関係がないことをご承知おきいただきたい)

たまたまこの記事を目にした。
日本を5年近く離れていると、どうも日本のニュースに疎くなる。こんなニュースがあったことも、正直きちんと思い出せない。
かといってフランスのニュースをちゃんとチェックしているかと聞かれるとそうでもない。そもそも私はニュースをきちんと追いかけるタイプではない。

この記事は私に全く関係のない2つのことを思い出させた。

1つ目は、最近仕事の関係でよく顔を合わせるフランス人の女の子に聞いた話。
彼女はフランス北部のノルマンディー出身だ。
彼女の妹は、ノルマンディーの大学を今年大変良い成績で卒業した(200人中トップに近い成績だった)。今大学院に行くために各大学に出願中だが、それだけ優秀であるにも関わらず、いくつかの大学から不合格通知を既にもらった(大学院入試はほぼ書類と面接で行われる)。それらの不合格をよこしてきた大学が特別レベルが高い大学でないにも関わらず、だ。
どうして不合格になったのかよくわからなかったが、合格したある南仏の大学からの連絡で全てが判明した。
「うちの大学は、今までフランス北部の人は採ったことがなくて、あなたが初めて」
この話を聞く限り、フランスの地方大学では、出身地あるいは現在の居住地による“差別”が平然と行われているようだ。パリの大学とグランゼコールについてはこの限りでないと思料するが、それにしてもそんなことをするインセンティブがどこにあるのだろう。
書類と面接による選考だから差別が表面化しようがないのか、フランスでは当然のこととして受け入れられているのかはよくわからないが、フランスの教育制度はなかなかこんがらがっている。
今彼女は、第一志望のパリの大学院の結果を待っている。ぜひ合格してほしい。

2つ目は、私がよくされる質問「どうして金融から香水へ?」に対しての回答だ。こちらが今日の本題。

冒頭のリンクの曲の歌詞がとても素敵だと思った。こちらにYouTubeのリンクを掲載しておく。

特に良いな、と思ったのがこの部分。

32歳 あてのないほの暗い未来
その先に光 当てんのは自分次第
目指してみようか 医学の道へ
それは茨の道へ だけど欲しいのは日々 
何かに打ち込める ゆるぎない意思
俺が生きている この命の意味

ちょうど私自身も32歳だから、余計に親近感があった。
この人は元々音楽をやっていたようだが、それが32歳で医学部を目指す。そして(紆余曲折あったものの)きちんと合格を掴み取るわけだ。素晴らしいことだと思う。

私自身はどうだろうか?27歳で金融をやめて、フランスにきた。語学学校や大学院に通い、最終的には香水ブランドを立ち上げようと思った。

「どうして金融から香水へ?」と聞かれるたびに、なんと答えて良いか分からずに、それっぽい説明をしていた。すると「すごい」とか「努力したのね」とほぼ必ず言われるのだが、そういった言葉は、私をとても決まり悪くさせる。

なぜそういう気持ちにさせるのか、といつもぼんやり考えていたのだが、この曲を聴いていて、ふと「私はただ、居心地の良さそうな方向へとゆっくり進んでいただけ」だからである、と思った。どうしたら自分がより気持ち良くなれるか、と考えながらのそのそ歩いていたら、たまたまこの場所にたどり着いた。それは「すごさ」や「努力」とはあまり関係のないことだった。

「コンフォートゾーンから抜け出せないんだけどどうしたら良いの?」と相談されることがたまにある。私はコンフォートゾーンから抜け出した人だとみなされているようだ。
「快適なら無理して抜け出さなくて良いんじゃない?」と心の中では思っているのだが、悩んでいる人に向かってそれを言うのが正しいことなのか正直よく分からず、いつも返答に困る。一度正直にそういった主旨の回答をしたら、相手が泣き出してしまった。とても悪いことをした気持ちになった。

また別の人だが、その人も同様に「自分はコンフォートゾーンから抜け出さねば」と思っていたようで、ある日突然、「僕はアセットマネジメントに興味があるんだ!」と言い出した(彼は確かIT関係の仕事をしていた)。想像するに、

ITの仕事は自分にはコンフォートゾーンであり抜け出したい

厳しい環境に身を置きたい

金融、厳しい環境っぽい気がする

今から自分がバンカーになるのは難しそうだけど、他の職種ないかなぁ…

アセットマネジメントなるものがある、ふむふむ…なんかできそう

厳しい環境に身が置ける!これこそ僕が探し求めていたもの!

という流れだったのではないか、と思う。
上記の書き方は私がその人を馬鹿にしているように見えるかもしれないが、そういうつもりは全くなく、なんなら多分こういった思考をしている人はかなり多い。特に就活における志望動機の大半がそうなのではないか。かくいう私も、こういう風な考え方をしていたと思う。
「厳しい環境に身を置くこと」が目的となっているのもどうかと思うが、それはさておき、その目的が「アセットマネジメントに興味がある自分」を生み出しているというのはなかなか怖い。

人も本来、蚕の幼虫が、光のある方へと向かう「正の走光性」のようなものを持っているのではないだろうか。つまり、私たちは気持ちの良い方向に、自然と向かっていけるはずだ。だから、本当はそれに従ってあげるのが結果的に良いように思うのだが、そういうことは、なかなかうまくできないようだ。

私たちは、走行性を忘れてしまった、悲しい生き物、なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?