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Ceci n'est pas un oud 〜これはウードではない〜

ここ数年で大きな市民権を得た香りの1つ、Oudをご存知だろうか。Oudと綴り、「ウード」と読む。

ウードの香水がグローバルで市民権を得るようになった背景には、中東マーケットがある。中東の人は、家の中でウードと呼ばれる香木を焚く習慣があり(bakhoorという)、この香りに強い愛着がある。また、中東の人の香水の使用量は桁違いだ。平均的なヨーロッパ人が年間100ml程度の香水を消費するのに対して、中東では年間3ℓ、実に30倍である。まさに「浴びるように」香水を使っている。
この大きなマーケットでの売上を得るために、ここ数年各ブランドがウードの香水を「乱発」したことにより、グローバルでウードの香水が一気に増えた。その結果、必然的に私たちの鼻もウードの香りに少しずつ慣れていき、今日では少なくとも香水好きの間では、一般的な香りとして定着した。
ウードの香りを知らない人がこの香りを嗅ぐと、その強さに驚くだろう。ウードの香りは、香木なのでウッディな香りかと思いきや、実際は非常に動物的な香りがするからだ。「ウードの香りのする香水なんて誰がつけるの?」と思うことだろう。

そもそもウードとは何なのか、そして香水の世界でウードはどのように取り扱われているのか。今日はそれについて書いていきたいと思う。

なお、ウードを日本語に訳す際に、伽羅や沈香という言葉があてがわれることがあるが、香水の世界におけるウードの定義とは若干異なるようだ。この記事では、あくまで香水の世界でのウードについて述べる。

ウードの元となるものは、Aquilaria crassnaという種類の木だ。ただその木だけではウードとはならない。
この木の中にキノコの菌を持った虫が入り込み、この持ち込まれたキノコにより木が中から腐っていく。この腐った部分こそが、本来ウードと呼ばれるものである。中東ではこの部分を小さく切ったものを燃やして香りを楽しむ。これが先述のBakhoorだ。

私はまだ中東の国に足を踏み入れたことはないのだが、市場などを歩いていると、あちこちでBakhoorに使われるウードを売っているらしい。「これは最高級のウードだよ」と商人が叫んでいるんだとか。

残念なことに、こういったところで売られているウードのほとんどが、本物のウードではないとのことだ。
彼らが売っている「偽物ウード」にも軽度のものから重度のものまで幅広くある。“軽度の”偽物は、先ほどのウードが採れる木の腐っていない部分の木片だ。ウードの香りの一部は感じられるが、動物的な側面はほとんどない。“重度の”偽物は、ウードとは何の関係も無い木片を、人工的に作られたウードの香りがする香水につけ込むことで香り付けしたものだ。ここまでいくともはや詐欺だが、実際にはこの“重度の”偽物ウードが市場でウードと銘打って売られているものの大半ではないか、と想像している。

先日、中東の人が、「これこそウードだ」と言って持ってきてくれたものを嗅ぐ機会に恵まれた。なかなか本物のウードを試せる機会はないので、大変ウキウキしたのだが、結果的にこのウードは、“重度の偽物”に該当するものだった。動物的なウッディの中に、明らかにローズやパチュリの香りが感じられた。

このように偽物のウードが大量に出回っている背景として、ウードが貴重なものとなっていることが挙げれれる。過去のウードの乱獲により、ウードは現在、CITES(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)のリストに掲載されるに至った。
(以前友人のHermèsでの買い物に通訳として駆り出された際に、クロコの時計のベルトにCITESの証明書がついてきて「ほほー」となった。もしかしたらこの中にも、CITESと見て、希少なレザープロダクトを購入したことを思い出した人がいるかもしれない)

これほど偽物が出回っているウードだが、ウードと名の付く香水に、本物のウードが使われているのだろうか?答えは、「ほとんどがノー」である。

これ自体は特に驚くに値しない。香水の世界ではよくある話だ。
1つの例としてカーネーションを挙げる。カーネーションは香料が抽出できない植物であるため、複数の香料を組み合わせてその香りに近いものを人為的に作る(カーネーションの場合は、ローズにクローブ等のスパイスを足して作ることが多い)。つまり、ある香水に使用されている香料として、カーネーションが提示されていたとしても、カーネーションから抽出された香料は入っていない。
もう1つの例として、ムスクを出そう。ムスクは、天然香料はほとんど使われていない(ウードと同様に、CITESのリストに入っているはず)。ほとんどが人工香料で代替されているが、ムスクと名の付く香水は星の数ほどある。

このように、仮にウードという名前がついていて、その香水の中に本物のウードが使用されていなかったとしても、香水の世界においては今までも同様のことが他の香料でなされており、それがミスリーディングでない限りにおいては、問題視されるものではない。
(念のため書いておくが、天然のムスクを使用していないのに、「天然のムスク」と記載することは嘘となる。そうではなくて、合成香料のムスクを「ムスク」とだけ記載する分には問題ない、ということである。“Globanone”と急に書かれても、消費者は何のことだかわからないだろう。ちなみにこれは、ムスクの合成香料の1つである)

それではウードと名のつく香水は、ムスク等と同様、何の問題も孕んでいないか、と言われると、そうは思えない部分がある。
ここから先は、ウードと名の付く香水の問題点について書くが、私個人の意見と一部推測が入っていることを予め承知の上読んでいただきたい。

ウードの香水の問題点の1つは、少なくない数のブランドが、さも本物のウードを使っているかのように宣伝しているところである。もちろん、全てのブランドではないが、“天然のウード”という謳い文句を何度も目にしたことがある。

先ほど書いた通り、ウードはCITESのリストに入っているが、完全に禁止されているわけではない。しかし、現在天然のウードを扱っている香料メーカーは、聞く限りだと1社だけだし、そこが提供できるウードも量は非常に限られていると思われる。もちろん非常に高額だ。また、CITESのリストに入っていることで、実際にウードを取り扱うためには、非常に煩雑な手続きが必要となるだけでなく、大きな“リスク”を負うこととなる。以下そのリスクについて説明する。

昔、ある木が香料として広く使われていたが、これもウードと同様、乱獲により絶滅の危機にさらされることになった。それを問題視したある環境団体が、この事実を周知するためにレポートを書き、さらに(どのように調べたのかは謎だが)その香料を使用している香水のリストを作った。リストの一番上には、ChanelのNo. 5があった。
これにより、この木が香料の原材料として使われることはほとんどなくなった。幸いなことに、かなり精度の高い合成香料があったことも、各ブランドがこのレポートを受け入れ、処方を早急に変更したことの一助となったと想像する。

つまり、今日において、天然のウードを使うことは、このように環境団体等から攻撃の標的となるリスクを多分に孕んでいる。先述の例は、20年以上前の話だ。日々高まる環境問題への関心を鑑みると、そのリスクの大きさがよくわかるだろう。
加えて、天然のウードは非常に高価である。そんな高価で、しかもリスクが高いものをわざわざ入れる事はビジネス的にナンセンスであろう。一方で、天然のウードをただ“謳い文句”として使う分には、仮にそれが嘘であっても、特に問題ないと考えているブランドは多いようだ。
天然のウードを使っていると思われる香水を1つ知っているが、その値段を見ると、うに濁点がついた呻き声をあげてしまう。う゛。

ウードの香水のもう1つの問題点は、ウードの合成香料や、ウードの香りを再現しようとしたものが、天然のウードに遠く及ばないことだ。私は天然のウードを試したことがないのでこれは人伝に聞いたことだが、ウードの香りがもつ力強さや美しさは、ウッディノートにアニマルノートを加えて作る人為的なウードのそれとは比べ物にならないそうだ。

このように人為的に作られたウードを、本場中東の人ですら本物のウードと勘違いしているという事実に香水ブランドは“つけ込んで”、さも本物のウードを使用しているかのごとく喧伝しているというのが実際に行われていることのように思う。そしてそれが結果的に、実際は天然の物にはるかに及ばない人為的なウードを、本物のウードとして消費者が認識してしまっている現状を作っているのである。もっとも、人為的なウードを本物のウードと認識しているのは、なにも消費者だけでないと思われる。かなり多くの香水クリエーターがそういった認識をしているのではないか、と私は密かに思料している…

私のこの長い文章を読んでくださっている方は、香水に非常に関心が高い人だと思うので、そういった方には、本物のウードが使われている香水はほとんど存在しないことをぜひ認識していただきたく思っている。
本物のウードが使われていないこと自体は悪いことだとは思わない。本物のウードなしで、クリエーションとして面白い香水も存在している。
しかし、ウードに関しては、昨今の「ウード信仰」をてこに、ブランド側もさも本物を使用しているような宣伝を積極的にしているし、それを信じている消費者も多いと思うので、私が知る限りの事実をここに書くことにした。

もしかしたら、私が間違っている部分もあるかもしれないので、例によって鵜呑みにして欲しくはないが、少なくとも“天然のウードを大量に〜”と宣っているブランドよりかは「天然の誠実さ」をふんだんに使用して書かれた文章であることをここに証明いたします。

次回も乞うご期待!

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