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雨ガ降ルマデ踊リ続ケル

最後にきちんと給料をもらったのは、2015年の9月だ。2015年9月11日まで働き、9月15日にフランスに来た。それ以降、貯金の他は、ちょっとしたアルバイトや奨学金でなんとかここまで生活してきた。

そこから給料がもらえるようになるまで、5年かかるとは思ってもみなかった(正確には社長なので、給料ではなく役員報酬だが、以降は統一して「給料」とする)。

銀行口座には最終的に、86ユーロしかなかった。今週の話だ。

海外生活を経験したことがない人にはピンと来ないかもしれないが、海外で給料を受け取るためには、給料をもらう権利が付いた滞在許可証が必要となる。そしてこれを取得するのはとても大変だ。

フランスでは、学生身分の滞在許可証は、一定のアルバイトは認めているが、労働時間に制限がついている。
私は学生の身分でフランスに来た。その後修士号を取り、APS(Autorisation provisoire de séjour)という職探しの滞在許可証で今までフランスに合法的に滞在していた。このAPSにしても、労働は許可されていない。

それが、ようやく労働許可付きの滞在許可証を取得できた。私は晴れて、フランスにて給料をもらい、納税することとなる。

社長であるため、給料は株主総会にて決定される。

会社の財務状況と今後のことを考えて、給料について私の方からある金額を提示して、株主の皆様から快く賛同を得た。「切り詰めすぎて無理しないでね」とまで声をかけてもらった。本当にありがたい。

その金額は、大卒初任給の手取額より少ない。

それでも、私は今、感無量だ。

不思議なものである。

8年前、新卒で入った外資系の投資銀行にて、ボーナスを合わせると初年度の年俸は1,000万円を超えていた。

その当時、それだけの給料をもらって幸せだったか、と聞かれると、正直よく覚えていない。そのお金を何に使っていたのかも、うまく思い出せないくらいだ。

それが、今は大卒の初任給を下回る金額であっても、それをもらえることに本当に感激している。「自分にはもったいないことだ」とまで思っている。

ところで、安定した給料のなかった5年間が苦しかったか、と聞かれると、実はそうでもない。渡仏後すぐの頃は、貯金額が目に見えて減っていくことにストレスを感じていたが、それにもいつの間にか慣れてしまっていた。

心の中で常に「いつかどうにかなる」と思っていた。だからここまでやってこれたし、最終的に銀行口座の残高が86ユーロになるまで踏ん張れた。

先のことはよくわからない。よくわからないが、私は自分が成功する、と信じて疑わない。

ただしそれには、「成功するまで踏ん張り続けられる場合に限る」という条件が付いている。

なんだか雨乞い師のようだ。

雨乞い師が踊ると必ず雨が降る。

なぜならば雨が降るまで踊り続けるからだ。

成功するまで踏ん張り続ければ、私は間違いなく成功する。

思うに、夢を追いかけることに向いている人とそうでない人の違いはここにある。

雨が降るまで踊り続けることを苦痛に感じない人は、夢を追いかけている間、側から見てどんなに惨めな生活をしていても、当の本人は幸せだ。現に私がそうである。

一方で、それが苦痛に感じる人も多いはずだ。そういう人が、安定を捨てて無理に夢を追いかけると、場合によっては不幸になるだろう。

昨今、やたらと独立することをよしとする主旨の発言が目につく。そういったものには「企業に勤める=搾取されている」というニュアンスが必ずついてくる。

それが完全に間違っているわけではないが、だからといって独立することが多くの人にとって正しい選択肢だとは思えない。自分が雨乞い師タイプかどうかは、よく考える必要があるだろう。

私のことに話を戻そう。成功するまで、どれくらい踊り続けなければならないのかは、全く予想がつかない。それでも今は、踊ることが楽しいし、私はきっと、成功の雨が降るまで、踊りをやめない。なぜなら、私は雨乞い師だからだ。

雨が降るまで、踊り続けよう。


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