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神は細部に宿る 〜足し算と引き算〜

「神は細部に宿る」という言葉は、どこの誰が起源となっているか不明だそうだ。ミース・ファン・デル・ローエが有名にしたとか、ギュスターヴ・フローベルの"Le bon dieu est dans le detail"という言葉が起源だとか、いろいろ言われているが、いずれにしても結構な数の著名人がこの言葉を事あるごとに引き合いに出しているらしい。

以前どこかで、「調香は足し算の美学だと思う」ということを書いた気がするが、その真意を説明していなかったので、それについて書いていこうと思う。

ところで、足し算と引き算、どちらがかっこいいだろうか?多分「引き算」と答える人が多いだろう。なぜかと聞かれるとよく分からないが、引き算の方が、何だかシュッとしてる気がする。
よって、例えば美学について語る時も、「引き算の美学」と言った方が格段にかっこいい。かっこいいが、引き算によって生まれるものが足し算によって生まれるものに劣っていたら、元も子もない。足さなきゃいけないところは足し算を使う、引かなきゃいけないところは引き算を使う、というのが正しい算数だ。妙なかっこよさに騙されてはいけない。
引き算を、さも“かっこいいもの”として喧伝している際には、疑ってかかった方がいい、というのが私の見解だ。かっこよさの理由を引き算に求めるのは、なんだかダサいと思う。

香水の試作品は、以前どこかで書いた通り、まずはイメージを調香師にブリーフィングするところからスタートする。イメージの伝え方は人それぞれだろうが、私は視覚的イメージを用いながら、言語的イメージでそれを補っていくやり方が好きだ。

調香師はそれをもとに、最初の試作品の処方を書き、その処方に基づいて、香料のみを混ぜたものを作成する。これを「ベース」と呼ぶ。ベースはアルコールで希釈する前のものを指しており、これを好みの濃度で希釈することによって最初の香水としての試作品が完成する。

通常、このベースは多めに作られる。なぜかというと、この試作品を修正しようと思った時には、このベースをまた用いるからだ。例えば試作品にローズを少し足したい、と思ったら、ベースから適量を取り、そこにローズを加える。それをアルコールで希釈したものが新しい試作品となる。

試作品の修正は、まずはこのようにベースに新たな香料を足していくことで行われるが、もし何かを引きたい、と思った場合、新しくベースを作り直す必要がある。既に香料が混ざっているベースからある香料だけを取り出すことは当然不可能だからだ。ベースを作り直すとなると、最初に作っていたベースが無駄になってしまうし、何かを足すのに比べて改めてベースを作り直すのは手間も時間もかかる。
よって、香水を作るプロセスは引き算よりも足し算を中心に進められる。もちろん、引き算をしたくなる時もあるので、その際はベースを作り直すことになる。

足し算を重ねる作り方には、上記の通り手間と時間が引き算に比べて省ける、という明確なメリットがあるが、それに加えて香水クリエーションにおいては重要な利点があるように思う。

これはきっと、どういう調香師と働くかによって変わってくるのだろうが、私の香水の調香をしているJean-Michel Duriez氏は、なぜその香料を入れたのか、という説明を明確にするタイプだ。彼はそれぞれの香料にきちんと役割を見出している。つまり、彼にとって、処方の中にある香料はどれも必要なものなのだ。何かを加えた場合、そこには必ず意味がある。つまり、何か不具合が生じた時は、その香料を引いてしまうと、それが担っている役割まで取り除いてしまうことになる。よって他の香料を加えることで調整するという選択をした方が、結果的に良いものができることが多い。当然のことながら、彼も必要に応じてベースを作り直す。

一度、私の香水が、それぞれ何種類の香料から構成されているかを尋ねたことがあった。
(これは驚かれるかもしれないが、私のブランドから発売される香水ではあるものの、私は自分の香水の処方を正確には共有されていない。処方は調香師に帰属するものだからだ。著作権等が発生するわけではないが、慣習としてそのようになっている)
彼の答えは、「気にしたこともなかったけど、数えてみる」だった。
香料の数の多寡は、香水の複雑さについて何も表していない。1つの香料が含んでいる香りの分子の数は多岐にわたっているため、香りの分子レベルで考えた場合に、仮に香料の数が少なくても分子数は多いということは大いに考えられるからだ。

よって、少ない香料で調香することが素晴らしいという事実は一切ない。それは先ほどの、「引き算の方がシュッとしている」というただの印象と大差がない。
「引き算の調香」や「少ない香料で調香されている」といった謳い文句を持つ香水をたまに見かけるが、それらは得てして雑なものか、香水になり切れてない、ただの“香り”というものばかりだ。

足し算か引き算か、というのは本質的には重要ではない。「細部にこだわる」というのは、足し算が必要な時にきちんと足し、引き算が必要な時にきちんと引くことだ。正しく算数をして、きちんと香りに神を宿したい、とつくづく思う。

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