見出し画像

内気でもええんやでという話

以前、英語の勉強の一環として見ていた動画で、スーザンケインというアメリカの作家による「内向的な人が持つ力」というテーマのプレゼンを見つけました。

世界人口の3分の1から2分の1は内向的な性格で、多くの偉人も実は内向的で、その性格があって成功に結びついた。世界は内向的な人のアイデアと活躍を必要としているという何とも壮大に思える内容でした。

最大で半分の人ってことは、そりゃ活躍しないと世界は回らないよなという感じですが、スーザンさんは学校、職場など社会的な活動の場はほとんど外交的な人向けにデザインされていて、内向的な人にとってはあまりに刺激が多いらしいのです。

まず前提としてどちらかというと外交的な人は多くの人との交流を求め、活動的で刺激に満ち溢れた環境を好みます。反対に内向的な人は静かで目立たない環境の方が生き生きとするし能力も発揮できます。

確かに考えてみると学校って何となく単独行動しづらいし、1人でいたら親や学校の先生が心配し始めることさえありますよね。職場にしても多くは仕切りがなくオープンで、周りでは誰かしらが常に話をしてて、定期的に上司や同僚が話しかけてくるような環境です。

いくら個性を大事にとか言っても、子供の頃から活発で明るくて、みんなと仲良くできて、積極的に発言する外交的な人であることが理想なんだよということが暗黙のうちに共通認識となっている社会であることはちょっと否定しづらい現実かもしれません。

社会に出ても組織はその場において支配的、カリスマ性のある優れた話し手の意見に従うことが多い。その話し手の意見が必ずしも優れているとは言えないのにも関わらず、とプレゼンの中では語られていますが、なるほど会社とかでも何を言ったかより誰が言ったかの方が結局優先されることってあるよなーと思いました。

集団の中にいると人によって意見が分かれそうな個人的な好みとかでさえも無意識のうちに周りの人の見方に追従するようになるし、集団内でアドバンテージを取るのはいつも外交的な人ですから、みんなそれに引っ張られます。

そういう環境にさらされ続けられると、内向的な人が自分の性格に反して社交的にならないとと思ったりして刺激の多い環境に身を置き、結果的にちょっと疲れてしまったり、自己嫌悪に陥ったりするんですよね。なんとも不幸な話です。中には外交的に振る舞えてうまくやっていける人もいますが。

人はときには気を散らすものから離れ、自分の思索に浸る時間が必要で、そこでは深い思考が生まれ、そういった時にこそ優れたアイデアが生まれるとのことです。昨今マインドフルネスなど瞑想がちょっとしたブームになっていますが、なんかその辺りとも関係しそうです。

動画を見て思ったのは、周りの環境や社会が期待する理想像に無理に合わせるよりかは自分の性格を理解した上で、自分に適した場所に身を置いて、思う存分そこで自分らしくいる方がいいのかなということです。

自分自身もかなり内向的ですが、こういう話を聞くと別に自分の性格を変える必要もないし、そのままでいいし、人それぞれ価値観が違うというある意味当たり前のことを再認識できて、少し気が楽になります。

多様性とは言いますが、実際の社会はまだまだ発展途上です。くれぐれも他人に対して個人の価値観を押し付けて、こうあるべきだなんて言わないようにしたいですね。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?