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いつかは人は死ぬ 〜今何かに苦しんでいるあなたへ〜

入院生活3日目
当たり前のことが当たり前にできなくなった今、心の成長を感じている。
ここに至るまでの経緯と、今の気持ちをここに記す

7/9 vsアストラ倶楽部
前日にはクラブ選手権の準決勝があった。
70分フル出場していたが、疲労はなくむしろコンディションはいつもより良かった。

前半30分あたりだった。
左サイドからのスローインを受けた相手ボランチに蹴らせないよう激しくチャージ。自分の足に当たったボールはタッチラインを割り、もう一度ほとんど同じ位置からのスローイン。またもや、相手ボランチにボールが入る。同様に激しくチャージに行く。
相手のフルスイングに対して無理な体制から右足を出した。ボールはまたもタッチラインを割った。

嫌な痛みがあったが、プレーは続行可能。特に気にせずプレーを続けた。
0-0で迎えた後半37分
右サイドからのクロスをヘディングで決める。
チームはその後追加点を加え2-0で勝利した。

最高の週末だった。
スローインのシーンだって帰路では笑い話の1つだった。

翌日
目が覚めると右膝に違和感を覚える。
仕事が終わるとすぐに病院に向かった。
診断結果は3週間の運動禁止。

しかしこの夏には指導者養成講習B級ライセンス、クラブ選手権都大会決勝、関東大会、国体成年部の関東予選、東京都1部リーグの1位、3位との関東参入戦をかけた直接対決が控えていた。
キャプテンとしてではない。一社会人サッカー選手としてこんなに充実した夏はない。
だからどうしても離脱したくなかった。
この夏で終わってもいいと思った。
だから無理をした。

プレー時間は最小限度にとどめた。
膝の痛みもなくなってきた。

8月中旬
国体予選を1週間前に控えた東京選抜チームは2泊3日の合宿を福島で行った。
2日目 
膝を痛めたあの日以来、始めて70分プレーした。
力が入らない。
根本的にコンディションが上がってないだけじゃない何かがそこにはあった。
心と体が乖離していた。
その夜のミーティング後、監督に呼び出された。
「一刻も早く手術しなさい」そのほかにもいろいろ言われたけどあんまり覚えてない。
あー、終わったな。と、
その時はただただ悔しさが込み上げてきた。

合宿後、すぐに大学病院で検査を受けた。
診断結果は外側側副靱帯断裂、半月板損傷。
手術を勧められた。
全治6ヶ月…
4歳から始めたサッカー。
6ヶ月もサッカーをやらないなんて始めてだ。
そもそも手術するのだって始めてだ。
別にプロサッカー選手でもない。仕事がある。
手術すれば穴を開けることになる。
誰かに迷惑をかけてしまう。

そんな気持ちを抱えたまま、国体予選にスタッフとして帯同させてもらった。
惜しくも国体出場はならなかったものの、もう一度ピッチに立ちたいと思うには十分すぎる理由を見つけることができた。

手術と6ヶ月のリハビリに耐える決断をした。
ただ、復帰するつもりはない。
パワーアップして戻ってくる。

1人で生活できない無力さ。
支えてくれる人がいることのありがたみ。
体を自由に動かせるよろこび。

今幸運にも生きていることが当たり前じゃないことを再認識できる環境にいる。
人一倍幸せを感じられる人になれた。

入院初日、たまたま、近畿大学の卒業式に参列し、スピーチをする本田圭佑の動画を見た。
そこにはこんなメッセージがあった。
「いつかは死ぬ、生きたいように生きろ」

いつ何が起こるかわからないからこそ、毎日を精一杯生きたい。
周りの雑念に自分の心がぶれないように、
まだ見えない未来に不安を感じないように、
自分を律して、進んでいく。

大事なのは常に今の自分の心。
この心に恥じぬよう、自分の芯を持って自分を信じて生きていく。

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