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人生は実験という感覚

誰も失敗したいという人はいない。みんなできれば成功したいと思うであれう。私もどちら一つ選べると言われたら、成功の方を選択する。だがここで一つ疑問が生まれる。仮にずっと成功し続けているとして、果たしてその状態は楽しいのだろうか?成功といえば達成感があるものだが、ずっと成功していたら、それは特別なことではなく、普通のことになってしまって、退屈な状態なのではないか?まあ、そもそもずっと成功というのはありえないが。いたとしたらパーフェクトヒューマン。

私は大学卒業後、会社員になった。長く続く、安定的な企業に入社した。そのため落ち着いている人が多く、居心地は他の企業と比べて良かったと思う。年功序列である程度勤めていれば、ある程度の役職につき、ある程度の給与をもらえる。生活には困らない。入社当初は人間関係に悩んだり、仕事がスムーズにいかなかったりして、悩んだ時期もあった。しかし数年経つと人間関係が築けてきて、要領も掴めてくる。それと同時に将来のイメージも湧いてくる。35歳、40歳、50歳、60歳のある程度のイメージ、像がある。大体のイメージが湧くことは幸せなことで、心にゆとりが生まれる。将来設計もしやすい。家庭を持って、家を買ってなど。だが私は退屈さの方が大きかった。まだやってみたいこともあった。ワーホリをしてみたかった。会社を辞めて、ワーホリをすることを決意した。

数年の海外経験に私はすごく満足している。行かないと見られない景色や、感じられない感覚に多く触れられた。帰国後、再就職活動をはじめた。ワーホリにいく前からも再就職は厳しいものと覚悟はしていた。だが日本や海外での経験から、自分に自信もあったし、なんとかできると思っていた。また英語の資格も計画的に取得したし、再就職に向けてある程度準備もしていた。しかし状況は思っている以上に厳しかった。年齢的なもの、年齢に応じて求められるスキルや経験不足、コロナの影響、面接下手など、さまざまな要因で数百の企業にお見送りされた。築いてきた自信は木っ端微塵に砕けた。確かにワーホリは就職において評価され辛いし、理解もされ辛いと思う。イメージとして、ただ単に遊びたかったんでしょ感がある。私から言わせてもらえば、それで何が悪い!言葉も通じない異国で精一杯遊んだ。(生きた。)これでいいと思う。スーパーでの買い物やバスの乗車だけでも、緊張感があり、アドレナリンがたくさん出て、無事に終わっただけで達成感がある。こんな経験は日本ではできない。毎日が挑戦で、新鮮で、日常生活自体がとっても楽しかった。話を戻す。再就活活動は半年経って、ようやく決着した。こんな状況においても、評価してくれ、期待して採用してくれた会社に、雇って良かったと思わせるのが、一つの目標になった。

自分の感覚や感情に従って、行動してきた。それによって大変なことも沢山あったが、とても満足している。自分の人生を生きているという自負がある。とても回りくどくなったが、結局言いたいことは、失敗を恐れすぎず、自分の感情や感覚に従って生きようということ。真剣には考えるけど、深刻には考えない。人は失敗を恐れるし、出来るだけ避ける。特に人生においては、よりその意識は強い。だが避ければ避けるほど、退屈なものになる。人生に退屈さを感じる人は、人生は実験!程度の感覚で、やりたいことをやってみることをおすすめする。別に今やっていることを辞めなくても、小さく始めてみるといい。向こうみずな思い切った選択をすると辛い時期もあるが、大抵のことはなんとかなる。


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