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白玉

最近は実家に帰るたびに涙を流している気がします。
良い涙だったり悪い涙だったり様々ですが。

一つは弟の成長を聞いて涙。
もう一つは仕事の相談的な事を母としていて涙。

どちらも号泣とまではいきませんが涙が出たことは間違いないです
「意外と涙とか出るんだ。」って思いましたね。

基本的にサイボーグな僕は人前で泣くことはないですし、むしろ話をされる側だったりするので、「ゆうたは感情の起伏がなくて冷静で変な奴」くらいに思われてると思います。半分正解で半分不正解です。

昔の僕は感情に流され過ぎていた人間で、部活の顧問に指摘されるほどでした。どう改善したかははっきりと覚えていないですが、単純に心が狭かったんだと思います。顔に出るし。
顔には今も出ますが、昔と比べて受け入れられる事が増えたので私生活に問題は無いです。

話を聞いて欲しいとかもあまり思わないんです。
聞かせるのが申し訳ないと思ってしまうし。
話せる人はいるけど深くまで話さない事が多いかもしれませんね。

そう考えると、昔も今も対して変わってないのかもしれない
受け入れられる物事の幅が増えただけで、根本は対して変わっていないんでしょうね。

そう考えると今まで書いてきたnoteって綺麗事なのかなとも思うけど、
「考えが変わっても、過去は否定しない」って以前書きましたしね。

話は変わりますが、年末年始は皆さんどのように過ごしますか?
僕の家は毎年茨城にある父の実家に帰っていて、そこで年明け1人で海に向かい星を見るのが習慣だったのですが、コロナの影響で今年は無くなりました

しかも年末年始も仕事という始末。あゝ無情
何度パソコンの画面を叩き割ろうと思ったかわかりません
今はカメラではなく動画編集がメインなので、基本家にこもっています。

ブラック企業で働いている方や(ただでさえ忙しいのにYouTubeもやるってどんな精神力?)、キンコンの西野さんのような自分より忙しい人たちをYouTubeで見て「自分なんかまだまだ」と無理やり言い聞かせている日々です。寝る時間だけが救い。

久々に実家に帰って母と話すと同じ経験があるようでした。
職種は違うけど環境というか、心境が同じというか。
でも当時の母は仕事以外にも大きなものを抱えていました。
僕です。

ただでさえ忙しく、ダラダラする余裕もないのに生まれたばかりの僕を育てながら仕事をする。子育てでさえ信じられないくらいハードなのに。
僕の抱えている悩み(のようなもの)は全て母が今までで経験してきたものでした。
不思議と話すと諦めがつくというか、やるしかないかってなってしまいましたね。

母は強し。これ間違いない。

小さい頃の思い出といえば、母と一緒に白玉団子を作った事。
昔住んでいた場所の、そんなに広くないキッチンで。
2人で白玉を丸めていました。

小学生の頃の記憶がほとんどない僕ですが、それは何故か覚えている。
頭にイメージがはっきりと浮かぶわけじゃないけど、それがあったことは覚えてる。

今でもそれが好きなことは変わらなくて。
厳密にいえば母が作る白玉が好きってだけですね。
仮にその白玉がどれだけ不味くても、「母が作る」という工程があるだけで好きになっていたことでしょう。もちろん美味しかったですよ?

そして先日実家で母が白玉を作ってくれました。
今度は僕と2人で丸めるのではなく、弟と2人で。

母と弟が白玉を丸めているのを後ろから眺めて、自分もこうだったのかなと思うと言葉に表せない気持ちになりました。
こうやって僕に愛を注いでくれてたんだなって。

作ってくれた白玉はものの数秒で食べ切りました。
思い出なんてそんなもん。

そうやって思い出を飲み込んで、またムカついたら実家に帰るようにします。


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