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そのお金は、リスクに見合う?

日本では年初来様々な事故や事件が相次いでいるが、先週のビッグニュースのひとつが、「目白邸」と称された故田中角栄元首相も住んでいた邸宅が全焼したということだった。
田中角栄といえば、戦後復興の真っ只中で「日本列島改造論」と銘打って様々な政策を実行(地方へのトンネル建設など)し、自身の出自(小学校卒から総理大臣へ)もあり、戦後の首相の中で今でも多くの人から支持されている人の一人だろう。

私も彼の本を読んだりする中で、彼の人間としての器の大きさを感じてきた。ことお金に関しては、「借りた金は必ず返せ、貸した金は忘れろ」というのが印象に残っている。お金を返すことで相手からの信頼を得る一方で、貸したお金が返ってこないのは何か事情があるのかもしれない、と相手を気遣う器量の大きさを持つべきだと、私は理解している。

そんな田中角栄の話をするうえでスルーできないのは、「ロッキード事件」だろう。これは、米航空機メーカーのロッキード社が、当時旅客機の再編成を考えていた全日空に対して自社製品を使ってもらえるよう、商社を通じて日本の関連の役人に賄賂を渡し、その受取人の一人に当時首相だった田中角栄も含まれており、結果的に彼が贈賄罪で逮捕されるという事件だ。

私は、ここまで人間としての徳を積んで、多くの人から支持を得て一国の首相にまで登りつめた人が、「高々」数億円のためにこうした不正に走る必要があったのか?と疑問に思う。どうやら当時のことについては未だ議論の余地はあるようで、彼の知らないところで、こうした意図せぬ結果を招いてしまった可能性もあるだろう。

「お金で買えないものがある」と以前書いたが(vol2. 「時は金(より価値あるもの)なり」を参照)、そういうものであればあるほど「積み上げるのは難しく、壊れるのは簡単」だ。せっかく何十年もかけて積み上げた信頼も、ひょんなことで簡単に崩れてしまう。特にそこにお金が絡むと、なおさらだろう。

また、最近は闇バイトを行って、高々数十万円の報酬のために自分の人生を棒に振ってしまう若者も多い。たしかに目の前の数十万円は大金に見えるかも知れないが、自分が取ろうとしているリスクと比べると、そのお金は狙う価値のあるものなのか?

個人的には、答えるまでもない問いだと思うのだが、それでも向こう見ずに飛び込んでいってしまう人がいるのも事実で、やはり「お金」という概念についてしっかり自分の軸を持つこと、それを可能にする教育が必要だと感じさせられる。


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〈以下、私の想い〉
私は金融機関で働く者として毎日相場を見ています。
今年は強烈な円安と、日本株の上昇が顕著だったと思います。ただ日本株が買われた理由としては、円安によって海外投資家から見たときに割安に見えたからと言われています。つまり、日本経済の成長を期待したわけではなく、単に割安だから買ったというわけです。
私はこの一件で、日本経済がこのままだとヤバイと危機感を覚えました。そこで、私の持っている投資に関する知識を使って、日本の人たちがもっと投資に興味を持てるような活動をしたい、と当初考えました。
ただ、よく考えると、今日本の人たちがより必要としているのはそうした投資の知識ではなく、持っているお金をどう使って何を成し遂げたいか、ということを考える機会なのではないかと思いました。
お金と向き合うことがなんとなくタブー視されるこの国で、目的を持ってお金を使い、自分の人生にもっと意味を見いだすことができれば、もっと皆が楽しく暮らせるのではないかと。そうして人々が活性化すれば経済にも波及するはずだ、と思っています。

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