私の頭を支配したのは
あなたにはありますか?
昔、息をするように簡単に出来ていたはずのことが、気付いたら出来なくなっていたことが。
私には、あります。
これは、結婚して、子供を持った私の、この12年間に起こった変化の物語。
小さい頃の私
小学生の頃から文章を読むことも書くことも難なくこなせるタイプだった。
本の虫、というほどは本を読みまくっていたわけじゃないけど、図書室も大好きだったし、自作小説なんかも書いていた(完成したことがほとんどないけど)。
ゲームブック、というものも作っていた。
知ってます?
短く区切られた文章が数字で分けられていて、物語を進めると選択肢が出てきて、その選択によって進む先の数字が変わるやつです。
当然、作文を苦痛に思うこともなかった。
小学校高学年くらいで自分用のワープロを買い与えられ、自作小説は原稿用紙に手書きだったものから印字になった。
カタカタとキーボードを打ってインクリボンでジージーと音を立てながら自分が打った文字が紙に印刷されていくのを眺めるのが好きだった。
あとさきや出来の良さなんて考えずに、ただ文字を綴るのが楽しかったあの頃。
それが、のちの私の下地を作った。
振り幅の広い中高時代
中学〜高校の頃は遊びで小説を書くことはほとんどなくなったけど、本を読むのはやっぱりそこそこ好きだった。
中学ではコバルト文庫をよく読んでいたっけ。
ほんわか優しい雰囲気の文と絵の「天使のカノン」シリーズがお気に入りだった。
マンガももちろんよく読んでいて、この頃出会った「動物のお医者さん」は、文庫や新書版ではなく黄色く変色した当時のコミックスをいまだに大事に持っている。
高校の頃は犯罪心理や異常犯罪のノンフィクションを好んでよく読むちょっと危ない人だった(?)。
マンガでは、その頃出会った「寄生獣」は今でも好きな作品のひとつ。
中学から高校時代に至る好みの振り幅がやばい(笑)。
こんなJKでいいのだろうか。
いくない。
発信の時代へ
20歳。
結婚した。
早い。
それはともかく2000年ごろ夫婦共用で初めてPCを買った。
まだAppleの国内シェア率の低かった時代にわざわざiMacを選んだ。
実家にいた頃、叔父が使っていたMacを触らせてもらっていたというのもあった。
まだどの電気屋に行ってもApple製品なんて売ってなくて、わざわざ日本橋のソフマップまで行って買った。
旦那には、昔VHSに負けたベータのように消えるんじゃないのかと散々言われたが、気にせず押し切った。
だって映画「フォレスト・ガンプ」のダン中尉がエビ漁で儲けた金を突っ込んでフォレストに譲った株はAppleだったからね。
そんな理由でええんか。
(映画ではフォレストはAppleを知らず「果物の会社」と言っているのがカワイイ)
あとからこんなにAppleが強くなっていくとはさすがに私は予想できてなかったが、とにもかくにもフォレストとダン中尉のおかげでその頃の私は無事マカー(マッキントッシュ愛用ユーザー)になり、私は今もApple製品ユーザーである。
で、コロンと可愛いボンダイブルーのiMacで、
好きな海外俳優のファンサイトの掲示板で交流したり、好きな海外のバンドのファンと交流してライヴ会場で会ったり、mixiに登録したり、自身のホームページを作ったりしていた。
フリーペーパーを作って印字して友達に送りつけたこともある。
完璧な自己満だったよね、当時の友達、ごめん。
しばらくして妊娠した。
その頃「ブログ」というものが普及し始めていたので、私も妊娠日記を兼ねてブログを始めてみた。
同じような妊婦さんが見にきて下さり、ここでの交流も楽しいものだった。
もちろん趣味ダダ漏れの記事も書いた。
文字を綴るのが好きだった私は、不特定多数の人に自分の言葉を発信する快感を知ったのだ。
趣味も、社会的属性も、このネットの世界で文字を放流すれば、誰かしらがそこに寄ってきてくれる。
リアルでの友達はそれほど多くない私でも、リアルでは出会うことのないような場所や年齢や属性の人と出会えた。
もちろん人が綴った物を読むのも好きで、本に加えて人の書いたブログや記事をたくさん読み漁っていた。
そんな日々は2人目が生まれる頃まで続いたが、子供のプライバシーを守るという名目で、ブログはやめた。
別人の自分がいた
時は飛んで2019年。
子供は中学生と、小学校高学年になっていた。
育児をしている間にスマホがどんどん普及して、ネットはPCを持っている人だけのものではなくなっていた。
ブログをやめた私の主な生息場所はTwitterになっていて、育児の話も趣味の話もほぼそこで楽しんでいた。
(リアルでの繋がりはインスタやLINE、と棲み分けをしていた)
そして昨年、岸田奈美さんの文章に出会った。
生き生きとしていて、面白くて。
昔、何も考えずに楽しく文章を綴っていた頃の記憶が蘇って、自分も何か書きたくなり、私もこのnoteに登録した。
だけど。
書けない。
書きたいこと、ある気がするのに。
発信したいこと、あったはずなのに。
Twitterでいろんな人といろんな話をしてた、その熱量で、ここでも何か書こうと思ったのに。
頭では断片的にあれもこれも書こうと浮かぶのに、なかなか記事編集画面に向き合うことができなかった。
腰が重くて重くて、重すぎて使いたいものに手が届かなくて、もういいやって諦めてしまう、そんな感じ。
まあなくても困んないし。
そんな感じ。
誰が読んでくれるかもわからない文章を、それでも楽しく発信していた頃の自分はもういなかった。
なぜだ?
書けないだけじゃなかった
他にもあった。
それは「考えに集中すること」。
他にも、というか、そこに集約されるのだと思う。
何かを書くときも、ある程度の集中は必要だから。
ある程度まとまった思考をしたいときや、何かを楽しみたいとき、それを自分の意思とは関係なく遮断されることは苦痛だ。
それでも自分が好きなことなら知らず知らず集中してるもんじゃないのか?
昔はもっと文を書けたし、
漫画も本もたくさん読んでいたし、
ネット上の長い記事も読んでいた。
それが、
文は書けない。
漫画は買ってすぐは一気に読むけど、繰り返し読むことが少ない。
本はあまり買わなくなったし、買っても積読になっているものが多い。
映画のパンフレットも雑誌も買うだけ買ってほとんど読んでない。
ネットの記事は、Twitterで見つけた面白そうな記事をブックマークに入れはするけど、そのままになることも多い。
書くだけじゃなく読むことも少なくなっていたのだ。
パラボラアンテナ
再び時を戻す。
2人目が生まれて、ブログをやめた頃。
上の子は3歳になっていて、乳を飲ませて寝かせればとりあえず何とかなるというわけにはいかずコミュニケーションも取らなければいけないし、外にも連れ出さなければいけない。
その合間に下の子に乳を飲ませ寝かせる。
上の相手や家事をしながらなので背負ってることが多かった。
背負ってれば寝てくれた。
これは非常にありがたかった。
忙しい日々。
でも可愛い我が子だし、手の掛かり具合も平均的で、育児そのものは普通の苦労だったと思う。
育児を経験したことのある人はわかるんじゃないだろうか。
母親(親)は我が子の声に対して敏感になる。
泣き声や呼ぶ声。物音。
何があったのか、何を要求しているのか。
今家の中のどこにいるのか。
瞬時にして察知し即、適切な対処をとる。
考えてる暇なんてない。
ほぼ脊髄反射。
料理していても、掃除していても。
自ら死にに行こうとするかのような幼児を生きる世界に留まらせるために、母親は奮闘する。
(父親も奮闘するが、しない人の割合は母親より多いと思う)
言葉を発することができるようになると今度は、自分の意思でこちらの行動や思考を止めてくる。
それは時にお話ししたいこと、
それは時にやってほしいこと。
世の中に対して湧いてくる小さな探究者の様々な疑問に付き合ったり答えたり。
湧き上がる創造性を抑えられず爆誕させた数々の素晴らしい作品を賞讃したり。
喉の渇きを訴えたら麦茶を入れてやったり。
自分でできることが増えてくると、こちらが手を出しすぎると成長できないから自分でさせるけど、まだ危なっかしいからやっぱり物音に意識を集中させていることは多い。(もちろんそばで見守ってることも多い)
程度の差はあれ、多くの親はだいたい音に敏感になっているのではないだろうか。
(もちろん、聴覚に障害のある親御さんは別の感覚を研ぎ澄ませるだろう)
加えて私の場合、聴覚的に敏感にならざるを得ない理由が他にもあった
うちは下の子が発達障害で、上の子よりも行動が危なっかしいところがある。
同じ年齢の頃の上の子よりも気にかけてあげなきゃいけないことが多い。
だから、今年度中学生になったけど、いまだに「耳をそば立てる」ことは日常的に多い。
そしてもうひとつ。
4年前に亡くなった同居していた義母が、下の子が0歳の時に寝たきりになったこと。
介護は、身の回りは義父担当。私は食事の内容に留意することくらいだった。
(それも小さい子を2人抱えた私にはなかなかハードな生活だったが)
ただ、高齢の義父は明らかに耳が遠くなっていて義母が呼ぶ声が聞こえないことがあった。
ふらふら玄関先に出たり近所に散歩に行ってしまうこともあった。
しかもそれを義母には事前に言わない。
これは介護から逃げたい心の現れでもあっただろうとは思う。
2階にいても、子供の相手をしていても。
「おとうちゃーん」
義母が義父を呼ぶ声がする。
何回か呼ぶ。
義父が動く気配がしないと、義父に「お義母さん呼んでるよ」と教えに行く。
家の中に居なさそうだと、玄関先を見に行って、居れば呼ぶ。
居なければ、義母に今散歩に出てるみたいと
教えてあげる。
オムツを晩年近くまでしなかった義母は部屋にポータブルトイレを置いていて、義父が戻るのを待てない場合は私が排泄を手伝うこともあった。
また、義父母はよく喧嘩した。
本当によく喧嘩した。
どちらもきつい性格だが、被介護者である負い目から義母は最終的には強く出られないことが多く、しまいには鬱状態になっていたと思う。
パニック症のようなものが出ることもあり、最多で月に7回救急車を呼んだこともあったし、ついには自殺未遂まで起こしてしまった。
本当は被介護者にそんな思いさせちゃいけないのだけど、義父は「介護そのもの」は真面目によくやったものの、心理面で細かな配慮ができるタイプではなかった。
だから私が精神面でのカバーをするしかなかった。
喧嘩の後泣いていたり、ひどく落ち込んでいたら、その気配を察知して話し相手になり慰めてやる。
喧嘩しているのが聞こえたら、その後の義母の様子は常に気にしていた。
小さい我が子が、寝たきりで鬱々とした日々を送っていた義母と触れ合うのはとても良いことなのだけど、子供がベッドに上がり込んでいるときはあちこち体が痛い義母の身体に障らないようにさせないといけなかった。
ずっとついてるわけにもいかず、これもやはり耳をそば立てて気にかけていることになる。
育児だけでも音に敏感になる生活なのに、それ以上に常に音を気にしている生活になった。
私は、自分でも気付かないうちに全身パラボラアンテナになっていたのだ。
音が!音が頭に飛び込んでくる!
スマホはとても便利だ
空き時間に手に取れば、僅かな時間でも暇つぶしすることができる。
家事も育児も介護も自分の都合ではできないから、必然的に空き時間は細切れになるし、中断するタイミングも自分で選べないことも多い。
本を読むことも、映画を見ることも、RPGで遊ぶことも、文章を書くことも、私にとってはその世界に没頭したくなるもの。
まとまった、自分で区切れるような時間が少なくなっていた私は、いつの間にかそういうもの
から遠ざかるようになっていた。
対して、140文字で綴るTwitterや、片手間にできて中断しても深度にそれほど影響しないツムツムのようなアプリゲームは、私の生活への親和性が高かった。
おそらくこれらがなければ、私は好きなことができないことに苦痛を感じていただろう。
だが、細切れの時間に僅かながらも私のストレスを逃せる方法があったため、私は育児をしてスマホを持っていた10年間に自分に起きていた変化に気付いていなかったのだ。
自分がパラボラアンテナになっていたことに。
どんな音声も情報として捉えて、脳がなによりもそれを優先してキャッチしてしまう体質になっていたことに。
これには個人差もあると思う。
私はもともと耳がいい方だ。
音楽は昔から得意教科で、歌を覚えるのは今も得意だ。
小さい子を持つ親が子供が好きな音楽や番組を覚えて一緒に楽しむのは普通のことだが、中学になった今も彼女らがやっている音ゲーの聞こえて来る歌をいつの間にか私も覚えてしまっていて、たまに合わせて鼻歌すると「なんで覚えてんの!?」と気味悪がられる(笑)。
会話の隅々も拾うから、私が一緒に楽しんでないものでもなんとなく会話に入れる程度には娘らの好きなものを知っていたりする。
家事をしながら隣の部屋で義父が見ているTVのCMの冒頭数秒がわずかに聞こえてきても何のCMか頭に浮かんだり、毎日同じワイドショーを見てるから番組構成で次は〇〇のコーナーだな、とか自然と頭に浮かんできてしまう。
だが、先ほども書いたように、細切れにできる範囲でストレスを逃し、自ら「集中して何かを楽しむ」行為を遠ざけていたから、子供に呼ばれたり、義母に配慮したりする「家族中心の生活」を送ることができていた。
4年前に義母が亡くなった。
子供も大きくなった。
パートに出る余裕もできた。
いろいろ、やりたいな。
ずっとできなかった好きなことを。
そう思って、ずっとやめてた映画館通いを再開したりした。
ある職業に就きたくて、勉強を始めたりもした。
(そのためにパートは辞めた)
そんな矢先に岸田さんの文章に出会い、昔みたいにまた文章を書いてみたくなったのだが。
書いてみようとして感じた。
まわり、うるさっ!?!?
いやいやいや、なにこれ。
うるさい。
家族の話し声や立てる音、見ているもの、流している曲。
そういったものがスコーーーンと脳にド直球で入ってきて思考を全てストップさせてしまう。
なにも考えられへんやん!
音楽の場合、知っている曲だと最悪で自動で脳内を流れてしまって止められないし、知らない曲でも日本語だと聞き取ろうとしてしまう。
そうすると他のことは考えられなくなる。
献立を考えながらスーパーの買い物メモをしている時ですらだ。
「じゃがいも…ふりかけ…たまご…パン…豚にkとーきーにあーいまいでーみーうしなうーとーまどいがちなじーぶんでもー♪」
…いやいや娘!その音ゲーの音量下げてくれ!!頭の中で歌ってまうから!(涙)
それと、音以外にも私の脳を占めるものがある。
これからする家事や、子供の日常に関することだ。いまなら、休校中の課題の進度だ。
上の子だとそこそこほっとけるけど、下の子はすぐ集中力が切れるし自分で全て管理できないので、こちらが手を貸してやらないといけない。
それが気になって、文を書く「波に乗れない」。
考えがまとまらない。
これを打っている今もずっとそうだ。
昨日から分割してこれを書いているけど、たびたび中断してそのたびに波が途切れるし、今ドアを閉じていても向こうの部屋から聞こえてくる動画か何かの音の抑揚から何を喋っているのか脳が「察知しようとしてしまう」。
昔はこうじゃなかったはずだ。
何かの音がしていても文ぐらい書けた気がする。
どうしてだろう?
なぜ私はそうなったのだろう?
そう考えたとき思い当たったのは、下の子が生まれて、義母が寝たきりになって、ブログをやめて、自分がパラボラアンテナになって、主にTwitterばかりするようになったことだった。
短い時間で遮断されてもできること。
考えるのも、打ち込んで投稿することも。
12年かけて私は、短い思考の中だけで生きるようになっていたのかもしれない。
なんとか時間を作って、何か文を書こうとしたりするのだけど。
思考が遮断され始めるとものすごくイライラする。
このへんも、個人差が大きいとは思うんですけどね。
他の情報が入ってきても思考活動をやめなくて済む人もきっといるとは思うんです。
でも私は無理だった。
自分の時間が持てない。
好きに時間を使えない。
そう感じてしまうようになった。
先述した勉強も同じなのだが、こちらは専門学校に通ったのでそこそこすることができた。家での学習はやはり思うほどできなかった。
映画館も同じで、「時間を作って映画館という空間に行き全てを遮断して映画を観る」ことはできても、家での鑑賞はやはり思うほどできていない。
たぶん、こういう自分に気付かなかった頃の私は、イライラを避けるために無意識に「集中が必要な趣味」を避けていたんじゃないかと思う。
もう、昔ほど音を気にしなくていいはずなのに。
配慮が必要な義母はいなくて、子供も昔ほどは言動を気にしなくてよくて、少しは自分のことに集中してもいいはずなのに。
長く、野生動物のように感覚に頼って家族を守る生活を続けていたら、私は体質が…脳の情報処理の性質が、すっかり「音情報優位」に変わってしまっていたのだ。
自分らしくやりたいことをしたい
これはある意味誇らしいことと見ることもできる。
私が嫁や母親という仕事を立派に勤め上げてきた証拠、なのかもしれない(あまり自分では立派だったとは思っていないが)。
しかしだ。
家族のために尽くす生き方を否定するつもりはまったくないが、私はもっと自分らしい生き方を取り戻したいのだ。
やりたかったことを。
何年もストップさせていたことを。
本を読んだり、文章を書いて発信したりしたいのだ。
昔、書きたくて仕方ないことを綴っていた頃みたいに、また書きたい。
育児で学んだことや、
好きな映画のこと。
これから目指す職業のこと。
そのためにはリハビリが必要かもしれない。
この文章を約2日かけて少しずつ書いてきて、ほんの少しだけど感覚を取り戻せてきている気がする。
これをちゃんと最後まで書き上げようと思ってよかった。
そもそのこの文章も、テーマは昨年11月、キナリ杯が発表されるよりずっと前に書こうとして、下書きに放り込んだまま進んでなかったものだ。
それをいま、ほとんどイチから書き始めてやっと形になってきた。
これをキナリ杯に応募しようと思い立ってよかった。
締め切りができたことでなんとか書き上げることができた。
それでも締め切り最終日だけど(笑)。
続けていれば、子供が喋っていても、旦那が音楽をかけていても、横で平気な顔して文章を書けるようになるかな?
ならなくても、物置部屋のドアを閉めて、閉じこもって書こう。
コロナ禍が落ち着いたら、カフェなんかに行って書くのもいいな。
これから目指す職業は常に勉強が必要だから、その勉強もたくさんしたい。
ああ、カレーの鍋を見守りながらここを書いてる今も、隣の部屋の義父のテレビが聞こえてきて、ラストをまとめられないでいる(笑)。
さっきは「麒麟がくる」の再放送をやっていて、今はピアノが聞こえてきている。
耳が遠いから音量大きいんだよなあ…。
あ、ニュースになった。天気。
ああ、あと長文を書けない理由がもひとつあって。
これ長すぎない?
ってすぐ思っちゃうこと。(笑)
短い時間でできることばかり追い求めた結果、自分自身も長い文をあまり読まない生活を続けたせいで、他の人もみんな長い文章なんてめんどくさくて読まないんじゃないか、読む時間なんてないんじゃないかと気にするようになってしまった(苦笑)。
思考も、書くことも、リハビリがいっぱい必要みたいです。
母親や嫁の顔。
その全部、もちろん、私です。
誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めよう。
今までよく頑張ってきた、俺!
でもいいよね?
これからはもう少しだけ、自分の顔でいられる時間を増やしたい。
染み付いた癖はなかなか取れないけど、自分らしい私の顔ができる時間を、もっと楽しめるようになりたいと思う。
投げ銭いただければ感謝の舞を踊ります。 余裕ができたらカメラのレンズかカメラ本体を増やしたいです。