自転が公転で自転
「2992年に残ってたら面白いですよね」
もういろんな景色を見てきた。ありとあらゆる色と形、もう十分だよと思うくらいに。
それでも果ては見えない。どれだけ目を凝らしたところで見えないものは見えない、ボク達の体はそういうふうにできている。
意味なんかない、価値も後付け、世界は主観だ、言葉で堅められたこの世界で。どうやって生きたらいいの。教えて欲しいと思った。
現実を見つめ続けるにはあまりに酷で、夢を見続けるにはとてもやるせなくて。現実と夢の間を行ったり来たりして。
どうにかこうにかして今やっとココに立ち続けてる。存在を証明しようとしなければ立ち続けることもままならない。
それぞれが押し合いへし合い、帰る場所を探してる。
もううんざりだな、そう思ってしまった瞬間が幾つあっただろうか。その度にハートを傷つけては死んだようにまた歩き出す。
“ココはどこだ。”
最後に行き着くのはいつだって答えを持ち合わせていない言葉ばかり。幻でも見ていたらよかったのに、なんて。
酔うことを覚えた
階段を踏み外してしまうようにこの世界から降りることを覚えた。それは歌とかダンスだったり、何か逃避行なものに近い。
白いキャンバスでもなんだってイイ、とにかく我を忘れたい。それが救いだったりして。
そろそろ酔いを覚ます、名前を忘れる。あぁ、またか。この繰り返し。やるせない、気怠い、いっそこのまま、なんて。
生命活動が
どこかで「諦め」を覚えて“次”を探す。それまでが一連の準備期間だったと気づく。長い人もいれば短い人もいる。
その次に「役割」「立ち位置」みたいなことを意識する。またぐるぐるする。
一周、二周、三周、.....。
「そろそろかな」、どこかで自分で言ったのかどうかすら分からない声に耳を傾けるそのまた自分がいる。
ボクの場合は歌。歌詞からもらった覚えがある。
迷惑にならないくらい好きなように
全てに区切りがついた。何もかも。知ってしまうことによる行き場のないやるせなさ、慣れを覚えたことによる喪失感、人に求めることの無意味さだって。
どれもこれも意味なんかなかったんだって。
オイ、待ってくれ。オレの意志は無関係なのか。勝手に産み落とされて地球の上にいる、誰かと誰かの間に立たされ答えを迫られた。そして今。
これが正解か、どうなんだ。誰も答えちゃくれないらしい。
答えを出すには早すぎる、だから今、ココに立たされていると考えた方がしっくりきそうだ。
生命維持できている今のうちに。
"歯止めは最早効かねえんだ”
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