未来を作るのは感情や個性を作るための日々の努力である。

2018年に法人設立時から、いろんな案件を経験しながら、コミュニケーションと向き合う機会が増えた。5W1Hをいつも繰り返していくわけなのですが、ターゲット設計、情報設計、体験設計などの機能的な整理だけではとても効率的でドライなものに仕上がる。

会社だから効率的に売り上げはあげたいのだけど、コミュニケーションを扱っている以上、時代に合わせて非効率でいい、もっと自由なものであって欲しい。そして、場合によっては効率化を諦めて、非効率であることを受け入れよう。(前の記事で時代と非効率に触れた。)

さて、仕事でも普段でも、コミュニケーションと向き合う上で、もっと感情表現を入れる必要があると思い、美術館や博物館に足を運ぶ機会が増えた。コロナ禍になってからは書籍の買う機会が増えた。
(とある友人からは理系だから感情を出さずに効率化を図ろうとするといつも怒られる。。そういうことも作用しているのかもしれない。)

いろいろなものを見聞きする中で、改めて、芸術作品は作者のメッセージと鑑賞者の私感が面白いと感じる。特に面白いと感じているのは、作品と人間の間にあるコミュニケーションがデザインよりも粒度が細かく、解像度が高く、繊細で脆く壊れやすい表現が多い点。感覚的には指先でやさしく触れるようなものだと捉えている。

嬉しい、悲しい、愛しい、尊い、恨み、憎い、恥ずかしい、悔しいなどの感情たちを、作品や案件の中に加えていくとどうなるだろう。とても愛着がうまれ、いつも気になり、ふりかえり、自分ごとになり、友達にも紹介したくなる。

このような感情を入れていくために、準備の段階から準備するものが大きく変わる。取ってつけたものでは感情として成立しない。普段から表現活動をおこない、手を動かし、見聞きしておかないと表現が湧いてこない。

それは今の時代なのかもしれない。ロボットにロボットのためのユニホームがあるように、機能的な作品や案件では個性がない。だからといって必ずしもあれば良いというわけではない。あって欲しいし、ありたいと思っているからである。

一社会人として気持ちを押さえる時もあるけど、人間なのでいつも感情豊かでありたい。感情を持った芸術作品や案件が増えていくと、個性が生まれ、また次の個性が生まれる。個性の循環が未来をつくり、時代とつくり、社会も作ると思う。すでにそういう未来がやってきている。

少し視点を変えて、ここ数年、デザイン思考、アート思考、イノベーション、クリエイティブ、リーダーシップ、IoT、AI、xR、DXなどのキーワード選考型の時代で、この手のキーワードはネットニュースでは見かけない日はない。説明する用語として一般的になることはとてもありがたいし、積極的に使いたいと思う。

時代や文化とともに生まれるキーワードはロボットのようなもので、説明するときの言葉であるが、感情はまとっていない。つまりはキーワードだけでは未来は変わらない。そこには個人なり法人なりの個性が加わってこそ、新たな分野が開けるのだと思う。

まとめ

どういう場合においても、普段からの努力の積み重ねが未来への意思・意識をつくる。悲しいかな未来は待ってはくれない。自分が何をしたいのかは自分次第であって、未来を作るのは感情や個性を作るための日々の努力であることに気づく。

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