異様なほど、接点の変容に興味がある。

コミュニケーションを改めて捉え直そうとして、書きはじめたことで、少しずつ興味があることも整理されてきた。

僕個人は、コミュニケーションのズレやリズムを可変するし、とても敏感であり、あえて鈍感を演じてる時がある。多分キャラクターとしては何を考えているのかがわからないタイプ。単純にさらされるのが嫌。その一点に尽きる。前の記事の最後あたりで気づいた。

その代わり観察が得意で、明るく振る舞うのだけども、陰湿なことをすぐに思いついた後に、その真逆な陽気なことに変換して、相手とのコミュニケーションをとることも多い。感性的な部分が変わっていく様に昔から興味があって、なぜその感情なのか、その感情はどう生まれたのか、そしてどう表現しているのか、表現下手だった自分がもっと表現するために探っていたような気がする。

大人になるといろんな仕事に出会うわけなのだが、徐々に関わる人も増えていく。増えていく中で人が喜んだり悲しんだりしているのをみては、改善案を実行することで、その場の雰囲気を変えることが好きで、楽しい。そもそも適当で大体でバランス取ることが多いのだけど、接点が見えるとその一点を目掛けて、ぶった切るもしくは、狙って走り抜けることをイメージとして持っている。

流れる時間の中でその接点が見つかるととても楽しい。そして流れが変わる。人生は地続きである以上、当たり前のことなのかもしれない。ただ、その接点への執着心が半端ない。喜んだり感動したりする様に感動する。

判断が早いのもそのためで、できるもはできるし、できないものもやり方によってはできる。その接点が誰にとっても感動的なものになる、三方よしになる(三方だけでない場合も多いけど)ことがその人の人生を1ページも刻まれることにもつながるし、成功体験につなげたいといつも思っている。

人生は一回しかないので今日のこの時間は今しかない。その瞬間により良い環境を作りたいし、飛び立って行って欲しい。止まることが良い場合もあるのだけど、止まって欲しくないと常々考えているし、自分は止まるつもりがない。挑戦し続けたい。

振り返ると、自分が、イベントの現場スタッフを集めて運営をしていたことを基本に、その場の動き全体を俯瞰的に想像しながら、当日の来場者の様子の顔も考えながら、企画立案・設計していることも、まー納得と言えば納得。その振り返りは自分の記事にまとめている。

最近痛感するのは表現の幅が狭い。もしくは表現をすることが怖い。今の会社において経験値を超えた表現や行動が大切になってきていることも事実。あとメンバーのみんなが自由であり自在である表現力を発揮することも重要。ここ最近は、いろんな記事をアーカイブしてはみたり聞いたりして情報収集に時間を使っていることが多い。

一人で表現できたらそれに越したことはないのだけど、いまはたくさんの関わりを持ってよりよい社会や環境を作っていくことで、その接点における変容を学びつつも、自身の表現力を変換していきたい。

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