見出し画像

誰かを排除している可能性を学び続ける #ローソンPBに思う

ユニバーサルデザインの文脈でずっと関心があった件のローソンPB。竹増社長を交えたライブ配信を見たけど、結論としてはローソンという会社がユニバーサルデザインを知らなかったんだなという印象だった。

公共性やインフラといったキーワードが出てきたり、世界展開などの話題もある中で、あの場でSDGsやユニバーサルデザインを語ることができなかったのは、やっぱりそこに企業としてあまり関心がなかったんだろうという印象が残ってしまった。

今後、真摯に声に応えていくという姿勢は素晴らしかったし、きっとこれから改善されるんだろうと思う。失敗から学んでいくともおっしゃっていたので、これを機にユニバーサルデザインにおいても業界を牽引するコンビニになったら素敵だ。

無知が、誰かを排除する

関心がなかったから、知らなかったのだろうし、追求もしなかったのだと思う。追求をしていれば、テストは入念に行っただろうし、ここまでの極振りな実証実験みたいなことにはならなかったはずだ。

文字の大きさや、写真の視認性についてユニバーサルデザインやアクセシビリティの観点からもっと検討や検証をしていれば、今回のことをネガティブに捉えた人たちを排除することにならなかったかもしれない。

購入や手にするのに苦労するものは「あなたは別に買わなくてもいいですよ」って言われているように感じる。そんなつもりは全然ないと思うけれど(わかってやっているのだとしたらトンデモナイが)それは当事者からしたら排除だ。わかる人だけ買ってください。こちらが提供する条件をクリア(ちゃんと近づいて手にとって、しっかり文字と商品を確認)しないと買わせません。その条件がその人にとって困難であればあるほど、その印象は強くなるだろう。

無知は怖い。「いや、そんなつもりはなかったんだ」と思っても、相手は既に困っていたり、悲しんでいたり、傷ついていたりする。昨日まで問題なかったのに、急に困ったことになると、裏切られたとも思うだろう。こどものいじめの構造と似ている。自覚がなくても、まわりの雰囲気に合わせているだけでも、本人は傷ついている。本人が「傷ついている」と言ったらもう誰がなんと言おうと傷ついているんだよ。

だから、その声が届いたならすぐに行動しないといけない。その点ではローソンは行動をもう既にしているようだから、素晴らしいと思う。そして、無知を自覚して、次のネガティブを生まないようにしなければならない。

可能性をずっとずっと考える

知は無限だし時とともに変化するので完璧にすることは無理だ。だからこそ、誰かを排除している可能性をずっと念頭において行動する必要がある。

これはデザインに限った話ではない。デザイナーだけじゃなく、プロデューサーもマーケターも営業もエンジニアも誰もが一丸で可能性を考えてほしい。戦略も謳い文句も設計も意匠も実装も製造も流通も、全部だ。この戦略が誰かを排除することにならないか?この謳い文句が誰かを傷つけないか?どんなフェーズでも検討する必要がある。

可能性を多く学び、吟味し、検討した上で、どうしても排除せざるを得ない場合はしょうがないと思う。でもその直後のフォローをどうすればいいかは学んでいないときよりもずっと早く行動できるようになっているはずで、それは次に必ず繋がるはずだ。

学び続けるしかない

話はズレるけど、ジェンダーや人種の問題だってそうだ。主義による意図的な差別や排除ももちろんあるけれど、無知による差別があることも忘れてはいけない。

#BlackLivesMatter は特権(Privilege)という言葉を教えてくれたし、考える機会にとてもなった。知らず識らずのうちに、無自覚な特権から生まれた行動や言動があったかもしれないと自戒したし、いくら仕事柄このような話題に敏感になっているつもりでいても、知らないことはまだまだあると再認識させられた。そしてそれはまだまだ誰かを傷つけてしまう可能性があるということを。

だからと言ってびくびくする必要はない。もしも誰かを排除してしまったら真摯にそれを受け止めて学び直せばいい。ただそれだけだ。それを繰り返していく。

学び続けるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?