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『あたりまえ』に必要なことを考える

アクセシビリティをあたりまえにしたい。常日頃から言っていることだし、所属の会社でもミッションにしているし、その他アクセシビリティを啓発している組織、取り組んでいる組織でも同じような言葉をよく目にする。

言うは易く行うは難し。宣言することはもちろん大事だけど、そこからどう行動につなげるかというのはちゃんと考えないといけないことだ。自分の場合は会社のミッションのひとつとしてやっているので殊更。どうやって『あたりまえ』を作っていくのか。『あたりまえ』には何が必要なのかを考える。

『あたりまえ』と無意識は違う

先日、ヌーラボさんのダイバーシティ研修を受けた。そこでは、人によって『あたりまえ』は異なると語られている。そんことは当然でそれこそあたりまえの話なんだけど、この人それぞれの違いについて【『あたりまえ』を作る】過程においてはかなり重要な要素だと改めて考えさせられた。

『あたりまえ』を作るためには、まず意識が必要だということだ。

「無意識にあたりまえになるようになったらいいね」なんて常套句なのだけど、これをするためには、その前の段階で意識が必要不可欠だ。無意識にもっていくためのトレーニングを意識してやる、という意識だ。つまり、ハンターハンターでいえばだし、鬼滅の刃でいう全集中常中だ。最初は意識をしないと身につかない。

そもそも無意識自体が難しかったり、そこまで無意識であることにこだわらなくてもいいと思う。無意識まではいかないけど『自然と意識する』までとりあえず目標にするのもいいのかもしれない。たとえば、酔っ払ってXで写真をポストするときもALTを入れるのも、常日頃意識していれば忘れずにできる。

自然と意識して書くようになっているだけで、無意識ではない。

ダイバーシティの文脈でも「相手と価値観が違うこと」「相手と文化風習・習慣が違うこと」を意識することから始める必要がある。意識せずに無意識になるのはよっぽど環境がそうなっていて適応能力がよっぽ柔軟でない限りなり得ないと思う。赤子が初めて世界を知るのと同じくらいに。

無意識を目標にしてしまうと、失敗しそうな気がする。

組織が『あたりまえ』をつくるために

そしてその意識まで持っていくためには、知ること、理解すること、というステップも踏まないといけない。「意識をする」は精神エネルギーを必要とする。精神エネルギーの消費を低く保つには「納得」だったりといった精神的な障壁をなるべく低くしておく必要もある。納得してないことはいくら意識したって苦しいだけで、無意識にもっていくなんて無理なのだ。逆にもしそれが無意識になっていたら精神の病を心配してしまう。要するに、納得に至るための教育や研修は必要だ。組織でなく個人でそれを達成したいのであれば、充分に学ぶ必要があるだろう。

無意識に話を戻すと、無意識であれば精神エネルギーの消費は限りなくゼロにできるので、たしかに「無意識にあたりまえになるようになったらいいね」は理想ではある。ではここで何ができるかを考えたとき、組織としては無意識に(悪い言い方をすると『考えなしに』)それを行える環境を作ることが大事だ。

しかし、間違ってはいけないのは、組織自体は常に意識したままだ。組織運営を行っているリーダーや経営陣は「無意識な取り組みができているか?」を常に日頃から意識していないといけない。場合によっては監視する手段もあるだろう。一般的にはそれを管理と呼ぶけど。

なので結局、誰かしら『意識』からは逃れられない。『あたりまえ』というのは誰かの意識の上に成り立たせる必要があるのだと思う。もしそうでないとしたら、その『あたりまえ』はそのように見えて暗黙的で流動的な要領を得ない曖昧な存在になってしまう。それでいいならそれでいいけど、ほとんどの場合「〇〇を『あたりまえ』に」という理想を掲げたものは、そんな曖昧なものではないんじゃないかな。

明示的に規定しよう

『あたりまえ』になってきた、というフェーズに入ってもまた新しい課題がおそらく現れる。結局、人によって『あたりまえ』は異なる。意識して組織的にチューニングしてきたとしてもやっぱり十人十色、育ってきた環境が違うからすれ違いは発生する。イナメナイのだ。アニメーションがダメだったり、アクセシビリティが好きだったりする。

なので、最終的には行動指針やプリンシプルやフィロソフィーといった、そういった明示的な規定が必要だ。『あたりまえ』だからといって曖昧にしてはいけない。


アクセシビリティに限らず、やりたいことが「『あたりまえ』になったらいい」と考えている人は多いはず。自分は、組織を運営する側の人間になったので「組織で何ができるか」を考えて実践していけるんだけど、そうじゃない人たちに向けてもいろいろと考えていきたい。「そんなことは偉くならなきゃ無理だよ」というのを実感している手前「そうとは限らないだろ」と思いたいのである。可能な限り応援したい。悩み事があればメッセージをください。

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