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キスをするのに一難あり/ショートショート

【466】

「私、はじめてかも…」

嬉しそうにしてるのかと思いきや、成海は真面目に驚いて笑っている。

初めてのデートの帰り道。

いや、ボクと鳴海は付き合ってるわけじゃないからデートと呼ばず《食事に行った》と呼ぶ方がいいのかもな。

初めて見掛けたときから釘付けになった。

大きな瞳でジッとこちらの目を見て来る人だった。

初対面なのに「ずいぶんこっち見て来るなぁ」と戸惑うほどの視線だ。

普通にしていてもひと際大きな瞳は、見詰められたら勘違いする異性いるはずですよと僕から忠告したのは、それからしばらくしてからのこと。

営業で立ち寄った会社の事務員の成海。小さな会社だからゆるやかに仕事が出来ていいんですと笑って話してくれた。他の社員は忙しそうにしていて、営業マンの僕と成海が話していても気に留めることはなかった。

「どうして目を見ちゃダメなんですか?」

この人は本当にわからないで聞いているのか?と戸惑ったけれど、真っ直ぐにそんな質問をぶつけるものだから「気があるって勘違いする人いると思いますよ」と答えた。

「そうなんですか?へぇ、面白いですね」

「男性ってそんなことで勘違いするんですか?」

あのね、と言いながら付け加えて答える。

「成海さんみたいに綺麗な人だとそれはあり得ますよ。男ってのは単純でバカですからチョロいもんです」

ちなみにそのチョロい男の一人は紛れもないボク自身でもあったのだけど。

「小田さんがそう言うなら言うこと聞きますね」

悪戯っぽく笑っているのがこちらの気持ちを容易くグラグラと揺さぶる。

ボクは決して惚れっぽい性格じゃないし、一目惚れから始まる恋愛を経験して来なかった。それなのに随分と彼女のことが気になって仕方ない。

事件と言ってもいいほどの出来事が起きた。成海と出会ってからひと月先のこと。

何か用事があるふりして彼女のいる職場に立ち寄ることが増えていた。

その日はちょうど他の社員が不在で、電話対応する姿が入口の扉の向こうに見えた。それに気付くと歩く速度を落として、扉の前で立ち止まる。

受話器を片手に顔を上げたとき、ボクのことに気付いて成海が微笑んでくれた。そのうちに電話は終わり「こんにちわ。今忙しいですよね」と遠慮気味に引き戸を開ける。

「ううん、大丈夫ですよ。いつも来てくださる小田さんの方こそお忙しいでしょう」

実際にその会社に用事があることもあったけれど、彼女のことが気になり出してから偶然にも用事という用事はなくなっていた。用事と言うのは成海に会いに行くそれだけしかなかった。

そして次の瞬間自分でも驚くことを口にしていた。

「あの…僕にとってはどストライクなんですよ成海さんって…良かったら今度飲みに行きませんか?」

数秒は彼女の方を見れなかった。なんてことを言ってるんだと正気になったのは言葉を発してすぐのこと。もう、この気持ちは止められなかった。

視線を感じる。

チョロいボクをその気にさせた視線。成海はボクの方を見て想像もしない言葉を発した。

「私、あんまりお洒落な服とか持ってないんですよ、困ったな」

いきなり誘ったこちらもこちらだけど、いきなり行く前提で服装を気にする君も君だ。《斜め上を行く》とはこのことだろう。拍子抜け。いや、しちゃダメだ。チャンスだ。

「え、いいんですか?あの…いつなら行けそうですか?ボク都合は合わせますから!」

間髪入れずにアポイントを取ろうとするところは営業マンとして磨かれたキャリアの賜物だ。

「そうですね…それじゃ今週の金曜の夜はいかがですか?」

駅のバス停前で待ち合わせの約束。

《お洒落な服とかない》なんて言っていた成海の私服姿はどうしても楽しみで、一人時間より早めに到着してからあちこちに目をやってばかりで落ち着かない。

「ごめんなさい、結構待ちましたか?」

そう言いながら成海がやって来た。普段後ろで束ねている髪は下ろされており、白のブラウスにパンツスタイル。足元はシンプルな色味のミュールを履いている。

お洒落な服がないなんて問題ないじゃないか。本当にそう思った。仕事のときと違う雰囲気は物凄く特別なものを見れた気分になれた。

_______

乾杯をしてから、ボク達は取り留めのない雑談や互いの仕事のことや前職のことについて話したりした。

ボクが何か話せばその目を細めて笑う。

成海が笑ってくれるその時間はたまらなく嬉しい気持ちにさせた。「ダメですよ」と伝えていた視線についても咎めるどころか、その大きな瞳に吸い込まれそうな心地で虜になっていた。

時間なんてあっという間だ。3時間程度のものであればわけもなく過ぎる。

歩いて帰ると成海が言うから「送るよ」とボクは言って並んで歩きだした。

通路側にして歩くように誘導した。「ふふ、紳士だね」と成海が呟く。

普段は吞むことがないらしく、どこか足取りが不安定になるようになっている。ボクの左側で揺れるように歩く。自然と触れ合うボクの左手と成海の右手。パシッパシッって手を振り歩くとどちらともなく、何度も触れ合う。

その手を逃さない様に揺れるその手をボクの左手で握りしめ、すぐさま手を繋ぐようにした。たまたまスムーズに出来たけれど正直心臓が飛び出そうな程ドキドキしていた。



「この先が私のアパートなの…こんなところまで小田さんありがとう」

立ち止まり成海が言う。繋がれた手はまだそのままだった。

「もうここで大丈夫?」

歩き方も覚束ない成海に尋ねる。下心なしに心配になっていたからだ。

「うん、あのねアパートに彼が来ているみたいなの」

「だからここで。ごめんね」

一瞬耳を疑った。え、彼って誰のこと?

でも、こんな綺麗な女性に相手がいない方が不自然だ。そうか、あくまでも《お友達として》付き合ってくれたんだと理解した。理解しないと自分が苦しくなってしまいそうだったから。


「じゃ、手…離さないとね」


言ってる自分の言葉に反してまったく離そうとしない。そして離そうとしないのはボクだけじゃない。成海も指を絡ませて離れようとしないままだ。

やめてくれよ。そんな態度取らないでくれよ。気持ちはどうしていいのかわからなくなっていた。彼女の事情はわかり得ないが察するしかない。現時点でわかるのは可能性がないということだけ。

それなのに。

横に並んでいた二人の体はいつの間にか向き合う様になっていた。

時間は23時を過ぎた頃。国道沿いに歩いてきたこのあたりは街灯が少ないせいかボク達の姿を照らしてはいない。

息を飲む。時間が止まったような気がした。

次の瞬間二人の影は重なった。一度、二度と唇を重ねた。


「私、はじめてかも…」


え?というボクに言う。

「私メガネした男性とキスするの初めてかも…メガネに当たらないようにしたときに気付いたの」

成海の初めてを貰えたと言えばそう。そっかと言って苦笑いする。

「でも、帰らなきゃだもんね?」

「そうだね、うん…帰るね」そう言いながら振り返ると繋いだ手は自然と離れた。

成海の歩く先にあるアパートの2階の部屋からは灯りが漏れている。そこが君の帰る場所だ。

あの出来事は一瞬で燃え上がって、そのあとすぐに消えた。

彼女に会うために会社へ立ち寄ることもやめた。なんとなくやめた方がいいと感じたからだ。失恋でもない。始まってもいなければ終わったわけでもない。ある夜の出来事だ。

「最近キスしてくれなくなったよね」

付き合って2年目の彼女から嫌味っぽく言われることがある。

「だって仕方ないじゃないか…マスクしてるといちいちマスクずらしてキスするのって面倒なんだって」

ボクは思わず本音を口にする。物理的な手間を建前にして気持ちの変化とかじゃないと伝えるつもりが逆効果だったようだ。

「面倒ってなんだよ!」

「私のこと大好きならマスクぐらい一回一回ずらしなさいってば」

言いながら悪戯っぽく笑う。

キスをするのにもひと手間かかるようになってしまったな。これっていつまでのことなんだろうか。

こんなやり取りをしているとき、あの夜の成海とのキスのことを思い出していた。

まったくチョロい男のまま変わりゃしないな。



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