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【256】ポンキッキーズ見てから登校する高校生の将来が明るいワケないよ

努力を怠った中3の夏を書いたnoteが腰を抜かすほどに読まれている。10000を越えてPV数が伸びたものは、後にも先にもそれだけで。

有難い反面、頑張らなかったおバカさんを綴る作品が世界を駆け巡ったことは筆者である私のおバカ指数を高めることになった。

よりによってノンフィクション。得意なパターンだ

時が経って、今だからわかることや言えることは山ほどある。答えを知っているからこそ、結果論になぞって正論をかますことは容易なことだ。
《綺麗事》を書こうと思ってnoteを書いたりしたことはない。

書き出しと大枠のテーマを決めて書いている、私のnoteは書いている本人ですら結末はいつだって謎だったりする。

それにしても本当に私の青春は勉学においては最初から最後まで本気を出さないままだった。
あれが限界なわけはないからさ。あまりに逃げて避けていたことばかり。
今がまともだからと偉そうなこと言えませんよね、トホホ。


楽しかったよ、そりゃ。
だけど、本気を出さずに努力もなしじゃ、ちょっと勝手が良すぎるってもんだ。
せっかく行けた高校でも、あんまり変化はなかったんだもん。

突然だけどこれを読んでいるあなたは【ポンキッキーズ】を知っているだろうか?

スチャダラパーのサウンドで始まるオープニング。
「おはようさーん、みなさん準備はいいですかぁ?」って軽快なリズム。
良く見るとそこに見えるのは、

あ…あ…あ…(早く言えよ)


アムロ!(機動戦士じゃないって)



安室奈美恵ちゃんじゃないか。



しかもうさぎの着ぐるみ着てるし。



ちなみに一緒にいるのは鈴木蘭々ちゃんです。どちらもテレビでは見ることなくなりましたね。
当時はちょうど安室ちゃんは【TRY ME】ヒット後のTKプロデュースに移行していったので、途中からいなくなりましたけど、他にもピエール瀧爆笑問題がメインキャストだった番組。

【歩いて帰ろう/斉藤和義】はこの番組で長年流れていましたね。


そしてメインキャラは南国生まれのガチャピン(黄緑色の怪獣の子)と、北極生まれのムック(赤い毛もじゃ)。かわいくないのに愛される二人…ガチャピンはなんでもチャレンジするヤツで、ムックの頭のプロペラは日本が暑いから涼しくさせる為とやら…。

と、まぁ番組のないようはこの辺りにしておくけど、それが8:00スタートだったわけ。

本来なら8:00にはうちから出ていないとならないわけなのに。やけにポンキッキーズー語るのもワケがあって。

高校へは自転車通学、片道20分程度の距離。
最初は真面目に行ってたんですよ。それこそ、ホームルーム始まる前には席についてさ。だから、遅刻だぞ~って正門閉められるより早く着いてたの。
次第にギリギリ登校になり、しまいにはHRに間に合った記憶があまりない。
こんなところに書いてはイケない事実。
遅刻ばかりのクラスメイトではあったけど、トップクラスの遅刻の数。
担任は数学の先生だったから3年生になると選択科目になったせいで担任の顔を見ない日も多かったな。

とにかく、よく卒業出来たよ。
そして、よく就職出来たよな。まずいでしょ、これ。


雨の日だとレインコート着るのが嫌で、自宅から学校まで1駅程あるので電車と歩きで堂々の遅刻登校。
慌てることなくポンキッキーズのオープニングを見ながらパンを食べて勉強道具などさほど入ってないカバンを持ってく。

工業系に興味があったワケじゃないから授業内容は全然入ってこないし、そもそも勉強は苦手なまま高校生になっちゃったから普通教科もダメダメ。
ただ、おとなしく座って授業受けていたら「お前真面目だから赤点いいにしてやるわ」と免除された。

座ってただけなのにね。先生ありがとう。それで良かったのか?笑

中学の頃にモヤモヤさせてたものは恋愛と部活とバイトで発散させて、そもそものところは解決しないままだったんだよね。
成長するわけないよ、本当に努力ってしてなかったな。してたら今頃はどうなってたかなんて思ってみても、そんな起こらなかった未来は創造力に欠けてしまう。
過ぎた日々のことは仕方ないよ、ドンマイ自分だよ。


結局、中学から高校生での6年間は一番必死にならなくてはならないのにも関わらず、それを怠ってしまったわけで。
思えば勿体ないことしたものだけど、巡りめぐって仕上がったのが今の私だから、何て言うか悪くはないんだ。

「言ってもらえるうちが華」って言葉じゃないけど、まわりから言われてるうちに気を付けて律していればそれは違うはずなんだ。


周囲にそれを正してくれる先生も友人もいなかったから、そうやって落ちるところまでどんどん落ちていったのが高校生の私で。
時代が良かったこと、いろんなラッキーもあって卒業も出来たし、就職も出来たけど、本当にもっと苦労した可能性はあったし、この際もっと苦労した方が良かったのかもなんてことすら考えてしまう。

ただ、その頃の私に苦難を乗り越えるパワーがあったかと言われたら、なかっただろうとは思うけど。

惰性で生きてた時間があまりにも勿体ない。どう生きてくべきかと今では考えるけれど、必死になった経験がある人がそうして先のイメージを描くのであればそうなのかもな。

どこかでそうした時間があるからこそ、ラッキーでさえもチャンスをより良いものとして捉えられると思うから、そのときに頑張れなかった私の将来が見えないのも致し方なかった。
やりたいことがわからない、行きたい方向も見えてないくせに、すぐそこに迫った人生の大きな岐路はしっかり選べやしないのは当然のことだったわけだ。



同じようにポンキッキーズについて話すクラスメイトはいなかったし、そんなことでお気楽になってることをさすがに話せる私ではなかった。

本当にその辺りが成長出来なかった。



黄緑色の怪獣の子、赤い毛もじゃ。
斉藤和義の歩いて帰ろう。
ウサギ姿の安室ちゃん。
ごきげんなスチャダラパーのラップ。
じゃかじゃかじゃんけんのコニーちゃん。


今思えば懐かしい。それらは確かに8:00から始まっていたし、それを見てぼんやりしてたのは情けない青春時代の私の姿だ。

思い出すときに浮かぶのは楽しい情景じゃなくて、ダラけきった高校3年生だ。



楽しかった?わかんない。


もう一度やり直したい?それもわからない。



面白かったとか、やり残した悔しさとかもない。



無意識、無表情に過ぎた時間はもう帰らない。


とりあえず言えることは、黄緑色と赤色に嫌悪感を抱くのはお門違いだってことだね。

サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!