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海風の届く住処で/ショートショート#月刊撚り糸

「八木ちゃんってどうしてこんなとこでバイトしてるんですか?」
私のことは何故かみんな苗字に”ちゃん”付けで呼ぶ。それは先輩だけではなく後輩の薫君からも同じ。「どうして?」って聞くなら私こそ聞きたいぐらいだよ。よりによって君たち後輩からも”八木ちゃん”なのって。それにそうやって聞かれるのはこれで何回目だろう。

随分と古株になったガソリンスタンドでのアルバイト。私が1年ほど続けているうちに元からいた先輩は辞め、新たに入った後輩も辞めての繰り返し。
「わりと時給いいんだよね」
軽口を叩く後輩の薫をあしらう様に答える。
「そうっすかね」
釈然としない様子の薫は洗車し終わったミニバンのボンネットを拭き上げながら言う。
「八木ちゃーん!次こっちもお願いね」
店長の声が響く。第二土曜は洗車半額サービスデーになっていて毎月この日だけは混雑が絶えることがない。
「マジですか~」と小声で言いながらサイズオーバーの制服で走っていく。薫が言わんとする意図はわかっていた。いわゆるメカニック関係だったり、こういうガソリンスタンドの女性スタッフは傾向としてはヤンキー系が多い。私もそれは理解している。私はちょっとそっちではないからお客さんからも「あれ?」みたいな顔をされることが多い。
もっと他のバイトにすればいいのにって友達からも何回も言われているけど余計なお世話だよ。楽しいからね、これでも。でも、確かに私以外の女性スタッフは2人ともヤンキー系だ。浮いていると言われたらそうなのだろう。

夕方からスタートするバイトの終了時間は22時。あと10分でその時間になる。
「薫君、私この車までダッシュでやっちゃうからあとの残りの2台はよろしくね」
薫はお客さんを見送って戻って来るところだった。「はいはい!八木ちゃんのお願いならやっちゃいますよ」
と、お道化て返事した。

短大も2年を目前になり少しづつ周囲も慌ただしくなっている。一体この先の自分の進路をどうしたいのか浮かんでは消え、また考えて。そんなふうにしてばかりで1年が過ぎようとしている。
将来的には保育士になれたらと考えて選んだ短大。でもどうもしっくり来ない。子供のこと好きだと思ってたけどそうでもないのかも。そんなことを話していた友達も多かった。私はどうだろう。

教育実習に行けばいい仕事だなとは思うけれど、そこで働く自分をなかなか想像出来なかった。

「八木ちゃんおつかれ~」
薫がだらけた口調で挨拶しながら事務所に入って来る。
「お疲れさま」
私は返事をしながら明日以降の車検の予約表を確認する。高速道路のインター近くの立地のおかげか安定して来店は多い。さすがに洗車半額サービスデーほどではないが20時ぐらいまでは給油の車両がやって来る流れは止まることがない。セルフ給油なのでその点スタッフは楽なのだけど、他のサービスで売上げに貢献するのはバイトだろうとプレッシャーはかけられていた。

「ねぇ薫君ってさ将来どんな仕事したいの?」
ふと私は聞いてみた。
「え、なんとも唐突な」
と、笑いながらも真剣な顔で薫は答える。
「僕は両親が教師だからね。もうそれしか考えられなくって」
意外な職種の登場に面食らって続けて私は聞いた。
「じゃあ、これから就活も大変になるでしょ?教師って小学校とかの?」
「あ、いやもう決まってるんですよ」
「この春からは地元中学校に決まってて。だから地元に戻るんす、僕」
動転した。え?決まってる?思考回路がパニックになってる私を見て薫が言う。
「あ!八木ちゃん僕のこと完全に年下と思ってたでしょ?ちょっとー」
その通り。あどけなさが残る薫からは年下臭とも言えるものしか感じられなかったからだ。
「だから3月の頭でバイト辞めること店長に話してありますよ」
「そうなんだ。いやいや、そうなんですね…なんか今まですいませんでした」
薫は笑う。
「いいんですよ!ここでは僕は八木ちゃんの後輩だもん」
やけにこの"八木ちゃん"の呼び名がしっくり来た。
「薫君は引っ越しかぁ。ちょっと安くていい物件知らない?私今のところ家賃高いし上の住人煩くてね」うーん、少し考えながら薫は答えた。
「海沿いって安くてボロくていいとこありますよ!ここからも15分ぐらいだし、学校もそんな遠くないんじゃないですか?」
へぇ。なんか良さそう。
「調べてみるよ!ありがとう」

交わした会話が心地よくて帰り道は一人なぜかにやけが止まらなかった。「まさか薫君が年上とは…やばいやばい」古着屋で買ったばかりのマフラーをぐるぐる巻きにして走る。
一人言を低速のカブが起こす冷えた夜風が消した。

「それじゃその日にお願いします!」
薫は不動産屋の担当との電話を終える。やはり混みあうな。みんなやることは同じだから仕方ない。これでも先回りして手配したつもりだけど先約はいるものだ。退去の立ち合いのアポが取れたら荷物を整理しないとな。薫は3月10日に決めた立ち退きの日を目標に動きだした。

家電付きの安物件。一人で暮らすには十分の広さだった。先日バイト先の先輩八木ちゃんからおすすめの物件を聞かれたときは迷わずここを紹介しようとも思ったほど。如何せん女性には向いていないかなと思い言うのをやめた。
「ってか、八木ちゃんみたいなかわいい子にここは有り得ないよな」
ガソリンスタンドでバイトするには勿体ない。それは本気で思っていた。育ちの良さそうな感じがしてモデルの様なスタイルで黒髪、綺麗な顔立ち。ガソリンの匂いとは縁遠いところにいるような女の子だ。いっそ洒落たカフェでバイトすれば断然似合うのにと思ったこともある。
「きっと彼氏いるんだろうな…」
ぼんやりと考えるがすぐにかぶりを振って掻き消した。何考えてるんだ。もうすぐ地元に帰るじゃないか。無理っしょ。

「今日で最後になります。お世話になりました。と言っても、まだあと3時間きっちり仕事してバイト代稼ぎますけどね」
薫君は私にそう話し掛けて来た。今日は薫のバイト時間はいつもより短めになっている。いつもより来客の数が少ないせいか外で二人並び正面の国道を走る車の流れを見送っていた。
「あ、そうだ。私いいとこ見つけたから引っ越したんだ。海沿いだよ!いいでしょ」

「へぇ良かったじゃないですか。洒落てるとこなの?」

「ううん、それがねボッロボロよ、薫君見たら笑っちゃうよ。でも私が気に入ったからいいの!そっちはどう?退去の準備は万端?」

「そうですね。もう着替えとスマホの充電器ぐらいだよ。食料もない。やべぇよ」

「そりゃヤバいね。あと何日よ?」

「えーっと…1週間あるわ。やば、死ぬなこりゃ」

「おいおい教師になる前に死んだらアカンでしょ」

そんな会話をしている間は不思議と車は一台も入って来ることがなかった。
まるで二人の為に夜が時間を与えてくれたかのようだった。

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どうやら2、3日前から隣の部屋に誰か引っ越して来たらしい。
この時期は入れ替わりが激しいからこの騒々しさは慣れっこだ。この季節の風物詩みたいなもの。特に挨拶とかすることはなく互いに干渉しない暗黙の住民同士のルールが気楽で良かった。

隣の住民は女性らしい。こんなボロアパートを選ぶなんてどんな変わり者だろうと少し興味が湧いた。あと1週間もしたらここから出て行くのはこっちの方だ。そんな興味もすぐに失せるだろう。バイトも昨日で最後にして、あとはゆっくりするつもりでいた。
すっかり空になった冷蔵庫には缶ビールが二本だけ。最後の荷物を車に積み込んでから近所のコンビニまで夕飯の物色へと出掛けた。

「あれ?八木ちゃんじゃん」店から出ると見慣れた顔を見つけた。

「薫君どうしたの?こんなところで?びっくりしたなぁ」

「いや、僕の住んでいたとこ…いや、まだ今日まで住んでるとこはこの近くなんですよ」

「こっちの方だったんだね。だから海沿いおすすめって言ってたんだ」

「そうそう。なんかさ地元も海の近くなんですよ。だから海風が届くところが落ち着くの」

「まさか、それ夕飯?おでんっすか?しかもちっさい方のパックだし女子かいな」

「いいんですって。もうこれで十分。ゴミも出したくないし」

「帰り道どっち?」
あ、こっち。どうやら八木ちゃんも同じ方向らしい。

「じゃ、お送りしましょうか。引越し記念に」

「なにそれ!でもせっかくだからお受けします。あ、おでん冷めちゃわない?」

「猫舌なんすよ、僕」
そう言っているうちに最後の夜を過ごす住処の前まで来てしまった。コンビニからは5分程度の場所。しかし八木ちゃんもなんの躊躇いもなく同じ歩調になって敷地へと向かい出す。

「あ、ごめん、ここなんだ僕の住んでたとこ」
八木ちゃんは立ち止まってこちらを見ている。なにか可笑しなこと言っただろうか。

「ねぇ嘘でしょ!私ここに先日引っ越して来たんですけど」

「まさか二階のあの部屋じゃ…」
そう言って薫はその部屋の方を指差す。

「あ、そのまさかだ。え…薫君っちのお隣だったの?」
”ドラマみたいな”こんな比喩がピッタリの出来事だ。

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二人して互いの住処のある二階へと階段を上がり先に八木ちゃんの部屋の前を過ぎて
「じゃ、おやすみ」
と言い薫はその先の自分の部屋の前へと歩く。
後ろでは扉の鍵を開ける音が聞こえる。しかしその先の音は聞こえない。
自分の部屋の前に行き、一つ前の部屋の前にいる方を振り返る。
八木ちゃんは何か言いたげにこちらを見ている。薫から声を掛けた。

「あの…夜分遅くにすみませんが一杯やりませんか?ちょうど冷蔵庫にビールだけ残ってて」

「それいいね、なんかいい!引越し祝いだ!」
そう言って笑う八木ちゃんの顔は当たりくじを引き当てた子供の様に弾けるようだった。

「お邪魔します」
女性の部屋に来るのは久しぶりで緊張する。間取りは同じなので奥に1部屋あることは知っている。まだ部屋のあちこちには段ボールが積まれている。

「荷物多くないかい?」思わず突っ込むほどの量だ。

「ねー!捨てられないの私。困っちゃう」
さほど困ってはいないだろうと感じる返答をしてすぐ互いに冷えたビールを開ける。静かな部屋にプシュという音だけが響く。物が少ない部屋は音が反響するせいか、話し声もはねっ返って来る。

「私ねよく言われたんだよ。ほら、薫君にもさ、どうしてここでバイトしてるの?って」
ああ、口にビールを含みながら自分だけ買ったおでんのちくわを取り出し相槌をする。

「高校卒業前から付き合ってた彼と一緒にはじめたのがきっかけでさ。でもその彼すぐにここでバイトしていた年上の先輩と浮気して二人して辞めちゃったの」

「あれまー酷い男!」
そこに感情は乗っていなかったけれど話し出した八木ちゃんのエピソードは興味深くてすっかり聞き入っていた。

「でも店長いい人だし、バイトは楽しかったから私は辞めなくていいかなって思ったの。ちなみに、ここに来る前に住んでいたのはその彼と一緒に借りたところって訳。そりゃ出たくなるわよね」

「なるほどな、そいつは大変でしたねぇ」
ぺろりと二つあったおでんはたいらげていた。もぐもぐと口いっぱいにしながら「ふーん」と八木ちゃんの話すのをぼんやり眺めてた。変に意識するものじゃない。それなのに無駄な音がない部屋に薫の口腔内で砕かれるおでんの歯ごたえ音だけが鈍く聞こえて会話の邪魔をしている。

「しっかし突っ走った行動に出たものだね、八木ちゃんも高卒間もなくでしょ?やるなぁ」
ビールはとっくに空になっていた。薫はそんな幼さからの衝動的な行動が可愛く感じた。

「薫君ってちょっと前まで年下だと思ってたけど、これ年上って早くわかってたらな~」

八木ちゃんそれ意味深発言でしょとか思いながら、
「なにそれ!年齢で恋愛するとかってやつ?」

「いや、私同い年の男に捨てられちゃったかわいそうな女じゃない?だから年上がいいなって願望あるのよ」
薫の心に一瞬迷いが生じた。でもそれはアルコールのせいで感じた錯覚だったことにしておいた。

「八木ちゃん、そうやってその気にさせようとしないの!」

「違いますよ!言っただけだもん」

「なんだい、その当て逃げみたいなやり口は」

「まぁ、僕はもう明日にはいなくなちゃう人だからね。八木ちゃんにもお世話になりました!ありがと」

「ちょっと聞いていい?」八木ちゃんはやけにムッとしてこちらを見ている。

「私の下の名前知ってるの?」

「えーと…八木ちゃんは八木ちゃんっしょ?」

「あ!やっぱりそうだ!私の名前は千春ですから」

「なんでそんなムキになってるのよ」少し狼狽える。

「いい!?忘れないでくださいね」謎の念押しだ。

「わかったよ。約束するよ忘れないって」そう言ってから"じゃ、そろそろ帰るね"と部屋を後にした。

翌日の目覚めは良かった。これから約4時間のドライブになる。高速を使って行く予定だったので給油をかつてのバイト先で済ませた。

「気をつけて行きなよ!」
店長が選別と言って缶コーヒーを渡してくれた。

「ちは…あ、八木ちゃんは休みですか?」
今日は日中から来てくれってお願いしてるからそろそろ来るはずだけどと話しているところに「おはようございます」とやって来た。
なんだか少し互いに照れ臭い。

「これから出発?」

「うん。BGMのCDはセッティング完了しているからね」

「いいね!何にしたの?」

「フランクシナトラよ!『MY WAY』これしかないっしょ」

「なんか、眠くなりそうね…」

「他もあるってば!じゃ、行きますわ」

「気を付けて帰ってね」
運転席に座りシートベルトを締める。窓際に立っている八木ちゃんに声を掛ける。

「就活しんどくなったらさ、千春ちゃん遊びにおいでよ」
え?と言ってる間に薫は窓を閉め、ドライブにシフトを入れアクセルを踏み込む。

昨夜《当て逃げみたいなやり口》と揶揄しておきながらこれですか。やるなぁ、年上の男は。
しんどくならなくても行こうかな。
見て見たいんだ、薫君の育った町の海の景色。




#夜分遅くにすみません

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