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暖な日の色に染まつてゐる宝石

晩秋から冬にさしかかるこの季節。暗い雲が垂れこんで冷たい雨が降ったりするとどこか暗い気持ちになることがある。晴れても風が冷たくて、あの穏やかで暖かな日々はどこへ行ったのだろうと、ほんの数ヶ月前が恋しくなる。

紅葉が終わって山からも街路樹からも色がなくなると、どこか心のなかまで灰色になる。灰色の世界には暖色がよく映える。スーパーの店頭にも、ご近所さんの庭木にも、家のなかの居間にも、映える暖色のミカンが現れる季節になった。

 俳句では「蜜柑みかん」は冬の季語。わたしたち日本人には、枯れ木や曇り空の無彩色に対する鮮やかな橙色として、この季節のひんやりとした空気感とともに記憶されている。

芥川龍之介の短編私小説『蜜柑みかん』での描写は、そんなわたしたちの感覚を思い出させる。ちょっと長いけれどその一部を引用しておく。

しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道トンネルすべりぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くには、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒いちりうのうす白い旗がものうげに暮色をゆすつてゐた。やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索せうさくとした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、そろつて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高くらせて、何とも意味の分らない喊声かんせいを一生懸命にほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。

芥川龍之介『蜜柑』より

この引用部分の前には、芥川自身とされる”私”こと語り手の陰鬱とした感情がこれでもかと綴られている。だからいっそう「心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる」蜜柑の鮮やかさが印象にのこる。この後、奉公に出る少女が見送りに来た弟たちにミカンをあげてねぎらっていたのだとさとり、陰鬱とした”私”の心に光がさす。

前置きがかなり長くなった。

陽が低く短くなる11月の誕生石にもミカンと同様の温もりが求められていたんじゃないか、なんて思えてくる。

◆◇◆

昨年に書いた11月の誕生石は、トパーズだった。もうひとつ、シトリンも11月の誕生石として知られている。これは昨年の記事でも触れていたことだ。

ちなみにこのネックレス、じつは似た色のシトリンも使われているという。シトリンは黄色のクォーツ(水晶)。シトリンも11月の誕生石だ。

2021年11月30日付け拙note「トパーズに希望と夢をこめて」より

シトリンは黄色〜橙色のクォーツ(石英、水晶)。柑橘類(シトラス)のイメージから命名された宝石だ。色合いがトパーズと共通するからだと思っているけど、11月の誕生石にされた理由はよくわからない。

わたしが冒頭で書いたような、冬の季語「蜜柑」にも通じるような感覚は欧米にもあったのだろうか。だとしたら誕生石にされたことに合点がゆく。

紫に高貴な色のイメージがある日本ではアメシスト(紫水晶)のほうが人気だ。しかし日本を出れば必ずしもそうではなく、シトリンも負けず劣らず人気があるらしい。いや、国によってはもっと人気かもしれない。

シトリンのほうが天然で見つかることが少ない。下の写真(左側)のキャプションにあるように、市場に出回るシトリンの大半はアメシストの加熱処理によってつくられている。採掘されたままで黄色いものは南米とアフリカのごく一部のものが知られているのみ。

左:DKの大判本『Jewel: A Celebration of Earth's Treasures』より、ブラジル産の非加熱シトリン。市場のシトリンの多くが加熱されたアメシストだとのこと。右:『Minerals & Gemstones of East Africa』(2019年、B. Cairncross著)より、タンザニア産の色の薄いシトリンの研磨石。おそらくこちらも非加熱。

そう、ある種のアメシストを加熱すると色が変わってシトリンになる。アメシストは多くの場所でもっと採れる。ふんだんにあるのでシトリンの原材料としても使われるというわけ。

加熱の温度条件はけっこう繊細で、加熱しすぎると無色透明のロッククリスタルになる。さらに高温ではグリーン味を帯び、そんなグリーン味を帯びたクォーツはプラシオライトと呼ばれたりする。イエローやグリーンにはならず曇ったホワイトになるものもある。グリーンになるかどうかは不純物として含まれる鉄の価数によるとの説がある。

クォーツは放射線の照射によっても色を変えることができる。加熱処理でつくられたシトリンは、照射処理でアメシストに戻すことが可能。さらに照射してスモーキークォーツ(煙水晶)にされるものもある。

放射線を長く浴びた石は色が濃くなる傾向がある。わたしがモンゴルで採取した濃色のスモーキークォーツは、古い古い岩石の、いまも自然放射線濃度の高い地域のものだ。このように石の色が周囲の環境を反映していることがあっておもしろい。

アメシストを加熱してつくられるシトリン。天然のシトリンはどうやってできたのか。

加熱処理で起きていることから推定された仮説だけど、地熱の影響だという説がある。地熱の影響で適度な温度条件がそろうところにあったアメシストが黄色く変色したというわけ。

これを言い換えれば、加熱処理は地球がやったかもしれないことをヒトが代わりにやっているのだということになる。

逆の仮説もある。熱水からクォーツが結晶化した段階ではむしろイエローのシトリンで、それが約50万年ものあいだ周辺の放射線にさらされてパープルになったという説だ。アメシストがあつまったジオード(晶洞)の周辺を見ると、わたしにはこちらの説のほうがあり得そうに思える。

この場合、アメシストの加熱処理はシトリンを復活させる営みだと言えるか。

いずれにせよ、シトリンとアメシストの成因についてはまだ決着を見ていない。ニワトリが先かタマゴが先かと似たパラドックスのような気がしないでもない。

なお条件が揃えば結晶が部分的にパープルで部分的にイエローで・・・なんてこともある。そんなアメトリン(アメシスト+シトリン)は今のところボリビアだけでしか採れない、これまた希少なクォーツ。アメシストとシトリンのどちらが先かなどと議論するわたしたちを自然が弄んでいるかのようだ。

クォーツは先月書いたトルマリンに比べるととても単純なつくりをしている。化学組成は二酸化ケイ素。トルマリンの説明で書いたリング状につながった四面体、その四面体ひとつがクォーツの構造に相当する。

四面体の4つの酸素のうち2つは隣接する四面体と共有するため、単位としては酸素が2つに珪素が1つ(二酸化珪素)ということになる。この二酸化珪素はシリカとも呼ばれる。

シリカは温度圧力条件によって相変化し、同じ組成で結晶構造の異なる鉱物が存在する(同質異像)。

そういった多形の関係にある鉱物はたくさんある。たとえばカルサイト(方解石)とアラゴナイト(あられ石)はどちらも炭酸カルシウム。ルチル、ブルッカイト、アナテースはいずれも二酸化チタンだ。

シリカの場合、クォーツのほかにはトリディマイト、クリストバライトといった鉱物がある。

昨年の10月に書いたオパール。個性的な遊色効果が特徴のこの宝石も広い意味ではシリカのなかまと言える。その遊色効果をつくっているのは規則正しく並んだシリカ球。水を含むもののオパールも珪素と酸素から成るシリカ鉱物のひとつだ。

オパールのなかのシリカは小さな小さな球状になって存在している。そのサイズは数百ナノメートル(ナノメールは10億分の1メートル)。光の波長に近い。その微細なシリカ球が規則的にならんでいると、入ってきた光のうち、シリカ球の大きさとおなじ波長の光だけが反射する。その光が干渉して虹色が見える。

2021年10月31日付け拙note「色が遊ぶ石」より

昨年に書いた時には「明確な結晶構造をもたない準鉱物」なんて書き方をした。

オーストラリア産のものに代表される美しい遊色効果をもつものはほぼ非晶質。しかし、遊色効果のないコモンオパールは微細なほかのシリカ鉱物、クリストバライトやトリディマイトが重なりあった構造をしていることがわかってきた。

これらの鉱物の頭文字をとってopal-C、opal-CTなどと書かれることがある。なお、非晶質(amorphous)のオパールはopal-A。ゲル状かネットワーク状かを区別してopal-AGとopal-ANとする分類もある。

先月の前半、職場の近くでおこなわれたミネラルショーに赴いた。中学校の跡地が会場で、どこか文化祭の模擬店みたいな懐かしいワクワク感がした。わたしの頭の片隅には11月の誕生石のnoteのことがあって、ネタになりそうな石を探していた。

そして見つけたのが下の写真の石。このnoteの見出し画像の右端のものだ。

中学校跡地でのイベントのポスター(左)とそこで買った黄色い石(右)

この流れだとシトリンか・・・と思われるかもしれない。じつはこれはタンザニア産のオパールとして売られていた石。たしかゴールデンオパールと書かれていた。

遊色効果のないコモンオパールはだいたいが半透明か不透明だ。この石はかなり透明度が高い。メキシコのイエロー〜オレンジ色のオパール、いわゆるファイアオパールを連想した。

ファイアオパールには人工で合成されたものが存在する。2008年にメキシファイアの商品名で売られて話題になった。改良を重ねて現在も売られ続けているらしい。またコモンオパールでは、はっきりした色のものには染色の疑いも出てくる。鑑別の現場では要注意アイテムだ。

この一見オパールらしくない”タンザニア産ゴールデンオパール”はいったい何者?というのが見つけたときの感覚だった。

タンザニアは東アフリカの代表的な宝石産地。近年、東アフリカは宝石業界でそのポテンシャルが注目されている。

その東アフリカに産出する鉱物をまとめた書籍のページを繰って見つけたのは、研磨すればキャッツアイになるという半透明な黄色いオパール。わたしの買った石とは透明度がかなり違うけれど、まったく無関係ではないかもしれない。

タンザニア産の半透明なオパール。カボションに研磨するとキャッツアイの光学効果が出るらしい。『Minerals & Gemstones of East Africa』より。

キャッツアイになるぐらいなので、方向のそろった微細なインクルージョンがあるのだろう。となると、オパールとはいえクリストバライトに近いものなのかもしれない。いやむしろ、微小なクォーツの集合体であるカルセドニー(玉髄)である可能性はないのか。そもそも結晶性のあるオパールCTやオパールCとカルセドニーの境界はどうなっているのか。疑問が芋づる式に湧いてくる。

ちなみにタンザニアではグリーンがかったカルセドニーが産出する。大地溝帯の火山活動にともなって非晶質オパールから潜晶質、クリストバライトやトリディマイト、カルセドニー、果ては単結晶クォーツへと連続して異なる相のシリカ鉱物が出ていたりするのかも・・・と妄想がとまらない。

このタンザニア産ゴールデンオパールは、比重が2.20。オパールの範疇だけれどかなり高いほうだ。宝石の鑑別では天然オパールとしか表記しないものの、鉱物学的にはクリストバライトをふくむオパールCなどかもしれない。

黄色いカルセドニーは持っていないけど、クォーツならある。このゴールデンオパールの隣にシトリンとレモンクォーツをいっしょに並べてみた。レモンクォーツは色の薄いシトリンの別名。奇しくもレモンも柑橘だ。

左からシトリン、レモンクォーツ、そしてゴールデンオパール。

グレーのiPadケースに載せて撮ったので、色の薄いレモンクォーツはその色がよくわからなくなってしまった。けれど冬の無彩色の世界に灯った暖かいミカンの雰囲気には近くなった気がする。

人生、ずっと順調な人なんてほとんどいない。学業やら仕事やら家庭やらでいろいろあって、必ずしもうまくいくわけではない。いや、うまくいかないのがほとんど。そんな人生の低調な一時期は、しばしば冬に喩えられる。

夏の熱に踊らされたあとのクールダウンと考えられれば良いのかもしれない。けれど年末へ向かう忙しいこの時期になると、そうも言っていられず、実際と冬と人生の冬をダブらせて病んでしまいがち。

そんな時期に、トパーズにせよシトリンにせよ、暖かみのある色合いの宝石が誕生石になっているのは偶然なのか必然なのか。

その11月にわたしが買った石はシトリンになりきっていないオパールだった。シリカの相変化についてあれこれと考えるのは良い気分転換になった。忙しい仕事、思うようにゆかない仕事、子供の受験、不仲な猫たち、健康問題・・・ああこの時期に手にした黄色い宝石は、ふっと一息ついて自分を客観視するきっかけになったのかもしれない。

冒頭に紹介した芥川龍之介の『蜜柑』では、”私”は”小娘”の放ったミカンを見てそれまでの陰鬱とした自己を反省し、心境の変化を以下のように綴って終わっている。

私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

ふたたび芥川龍之介『蜜柑』より

芥川が心のありようのメタファーにした蜜柑。柑橘つながりでの11月の誕生石シトリン。11月の誕生石にシトリンをいれたのが誰なのかは知らないけれど、時期的な特性と色の効果がよくわかった人だったのかもしれないな。

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