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本の街を歩いたあとの月夜、蛇紋石の杯に葡萄酒を注ぐ。

秋の読書週間にあわせて始まった神田古本まつり。そして連動して開催される神保町ブックフェスティバル。昨年同様、半日だけだったけれど足を運んだ。天候に恵まれて気分が良いので秋葉原から散歩を兼ねて歩いて行った。意外と近かった。

Google Mapsの移動記録。秋葉原から岩本町駅に向かいつつ気が変わって神保町方面に歩いたのがわかる。歩行者マークのあるあたりがちょうど会場のすずらん通りの入り口あたり。

今回はブックフェスティバルをメインにして書くつもりではなく、その前日に中国出身の同僚からもらった中国のお土産について。

それは深いグリーンの小さなコップ。日本で言うお猪口ちょこに相当するか。暗いグリーンに黒い縞模様が見える。その材料は石。マントル物質の変成作用でできる蛇紋岩を構成する蛇紋石(サーペンティン)で、それを削り出して作られたものだ。

さっそく「一日一画」の題材にした。

お土産の実物とそれを見て描いたスケッチ

なお、この蛇紋石に含まれている黒い金属(おそらく磁鉄鉱かクロム鉄鉱)のおかげで磁石を近づけるとくっつく。この金属は酒の味や健康に良い影響はあるだろうか。

ネオジム磁石はしっかりくっつく。磁石を持つ右の手は次男。

これは中国では夜光杯と呼ばれているらしい。その同僚からは「葡萄美酒夜光杯」との漢詩にまつわることを教えてもらったので、ちょうどもうすぐ満月だからワインを入れてみようかなんて軽口をたたいていた。

葡萄美酒夜光杯。

あとで気になって検索してみた。訓読では「葡萄の美酒 夜光のさかづき」。どうも聞き覚えがある。そうだ、たぶん中高生の頃に習った漢文だ。検索結果には、この七文字が唐の王翰おうかんによる七言絶句「涼州詞」の最初の行であることが書かれていた。

先ほど書いたとおり、ちょうど本の街神保町へ行く予定にしていたから、ついでにこの漢詩のことがわかる本に出会えるかもしれないと思った。タイミング良く神田古本まつりもやってることだから、ブックマーケットのついでに探してみよう。

予想したとおり、神保町はすごい人混みだった。昨年はコロナ明けの3年ぶりの開催だったから混雑していたのはわかるけれど、今年は昨年を上回る混雑ぶりだったんじゃないかと思う。

ブックマーケットは路上のワゴンセールで、出版社がアウトレット品や希少本を格安で販売してくれるパターンが多い。中にはワゴンの閲覧制限をしていて、長い行列ができているところもあるし、作家のサイン会をやっているところもある。

気になる出版社のワゴンを漁りつつ、すずらん通りを二往復した。混雑のあまりワゴンを見るのを断念したところもいくつかある。

頑丈なトートバッグが本でいっぱいになった。本の重さで身体が傾きそうになり、リュックサックにしなかったことをちょっと悔やんだ。そんな客の心理を見透かしたかのようにリュックばかりを売っているワゴンもある。なぜか買ったら負けのような気がして、踏みとどまった。

自立するまで本でいっぱいになったトートバッグ。頑丈なトートをつくってくれたGem-Aさんに感謝。

神田すずらん通りを離れて古本まつりを覗くと、古い文庫本が目についた。ほとんど読めなくなった背表紙には『唐詩選』とある。古い岩波文庫の上巻だった。とりあえず100円でそれを買い、別の店へ。そこでもまた、さらに古くて汚れた文庫本を見つけた。『唐詩選』の下巻だった。こちらの表紙は右から左に書かれている。これも100円だった。

あっという間に目的としていた唐時代の漢詩(ってよく考えたらおかしな表記だ)の書籍が手に入った。さすが神保町。

下巻は昭和8年(1933)の発行。90年前!訳註者の名前が入った印が貼られているのはなんなのだろう。

王翰の涼州詞はこの下巻のほうに載っていた。

このページの左半分が涼州詞。下に訓読。

涼州詞  王翰

葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回

葡萄ブダウ美酒ビシユ夜光ヤクワウさかづき
まんとほつして琵琶ビハ馬上バジヤウもよほす。
うて沙場サヂヤウきみわらなか
古来コライ 征戦セイセン幾人いくひとかへる。

『唐詩選』下巻より。旧字・異体字は現代表記に改めてある。

書き下し文からも西域の異国情緒が伝わってくる。葡萄酒も琵琶もシルクロードで西方からもたらされたもの。沙場は砂漠。おそらくはタクラマカン砂漠をゆく兵士。帰還の目処がつかない戦場に向かう途中で、やけっぱちな気分になっている。そんな心を満たす葡萄酒と美しく光る杯。現代も世界中のあちこちで戦争が起こっているから、その虚しさがなんともリアルに響いてくる。

シルクロードの杯と聞くと、正倉院にありそうなガラス製のものを想像するけれど、西域で採れる石材で作られた深いグリーンの杯もあり得そうだ。土産物とはいえ、古典を引用したさりげないネーミングに中国文化の懐の深さを感じる。

この文脈だとジョージアあたりのワインがあればよかったのだけど、あいにく帰り道には売られておらず、フランスのものを買って帰った。

日没後数時間。リビングの東の窓から、満月が見える。お土産の夜光杯に赤ワインを注いでみた。キラキラと表面が輝くけれど、反射しているのは月明かりではなく室内照明・・・・。

満月が昇ったところで赤ワインを注いでみた。窓に散らかった室内が映りこんでいるのはご愛嬌。

やはり湿った東洋の室内でこれをやっても雰囲気が出ない。

でも、真っ暗で月明かりしかない砂漠を想像すると、黒々とした赤ワインに浮かぶ月光は幻想的かもしれない。ワインには白や淡色のものもあるけど、「涼州詞」は戦場のことなのでやはり血を連想させる赤だろう。

いま現在、世の中あまり良いニュースがない。戦争はエスカレートするばかりだし、国内でも政治も経済もため息の出そうなことばかり。日本のGDPはドイツに抜かれて4位に後退するという。戦場の恐怖や不安とは比べものにはならないけれど、いまの日本の状況だってヤケ酒をあおりたくなるぐらいの要素はある。

個人的にもいろいろと悩ましいことが続いていて、そんななかブックフェスティバルとこの夜光杯は現実逃避にうってつけだった・・・いや、現実逃避というのはいけないな。せめて気分転換にしておかないと。

気分転換のアルコール、そして沙場いや机上に臥す。きみ笑ふなかれ。気づけば今年も残すところおよそ2ヶ月。もっと明るくなれるnoteを書きたいなぁ。

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