「降伏文書調印から75年」の節目に考える「9月2日」の持つ意味

本日、1945(昭和20)年9月2日に横浜沖に停泊していた米国の戦艦ミズーリ号の艦上で大日本帝国政府が連合国との間で停戦協定が調印されてから満75年が経ちました。

また、停戦協定の調印に際し、昭和天皇は次のように勅命を発しました[1]。

朕ハ昭和二十年七月二十六日米英支各国政府ノ首班カポツダムニ於テ発シ後ニ蘇聯邦カ参加シタル宣言ノ掲フル諸条項ヲ受諾シ、帝国政府及大本営ニ対シ、聯合国最高司令官カ提示シタル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且聯合国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ命シタリ
朕ハ朕カ臣民ニ対シ、敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス

この詔勅により、大日本帝国政府によるポツダム宣言の受諾と連合国軍による日本の占領が正式に決まったこと、さらに陸海軍に対し連合国へ敵対行為の即時の停止と武装解除が決定しました。

日本国内では、ポツダム宣言の履行を受け入れることで日本は敗戦国の烙印を押されることになるものの、種々の困難を受忍しつつ「昭和維新」を断行する精神で事態に立ち向かわなければ国家の再建は叶わないと指摘されるなど[2]、停戦協定の調印の重要さが認識されていました。

その一方で、時代を経るに従い、昭和天皇がポツダム宣言の受諾を国民に告げた8月15日が終戦の日として重視されるものの、9月2日については歴史の一場面として学習の対象とはなっても国際法上の観点から戦争の終結をもたらした画期と見なされる程度は決して高くありません。

もとより、天皇が初めて国民に呼びかけるという前代未聞の出来事である玉音放送が人々に与えた影響と印象の強さゆえに、「8月15日」が特筆大書されることは当然と言えるでしょう。

あるいは、「ポツダム宣言を受諾する」ことと「敗戦が法的に確定すること」を比較すれば、心情の点で前者の方が後者よりも受け入れやすいという側面もあります。

しかし、米国が9月2日を対日戦勝記念日(The Victory over Japan Day)としていることを見るだけでも、「9月2日」の持つ意味の大きさが分かります。

それだけに、75年という節目の年に際して、改めて停戦協定が締結された「9月2日」の意義を考えたいものです。

[1]御署名原本・昭和二十年・詔書九月二日・大東亜戦争終結ニ関スル関係文書調印ニ関スル件. 国立公文書館 (レファレンスコード: A04017701000), 1945年9月2日, https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000042948 (2020年9月2日閲覧).
[2]耐えよ敗戦の烙印. 読売報知, 1945年9月2日1面.

<Executive Summary>
What Is a Meaning of the 2nd September or the Day of Japan's Surrender for the Allied Power? (Yusuke Suzumura)

The 2nd September 2020 is the 75th anniversary of the Japan's Surrender for the Allied Power in 1945. In this occasion we have to examine again of the 2nd September, since it is the day of the end of the Pacific War and the first step of rebuilding of Japan after the war.

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