「総裁選不出馬問題」について岸田文雄首相と石橋湛山に共通点はあるか

8月14日(水)に岸田文雄首相が自民党総裁選挙への不出馬を表明したことは、国内外に大きな反響を呼び起こしました[1]。

党の刷新のためには総裁選に出馬せず、自らが身を引くことが第一歩であるという趣旨の発言を行った岸田首相については、病気により「私の政治的良心に従います」という書簡とともに65日で退陣した石橋湛山の判断を想起する人がいるかもしれません。

確かに、石橋はいわゆる「石橋書簡」において病気のために国会での予算の審議を一日も行えず、国民に対する責任を果たせないため退陣を決めたことを記しています。

そのため、「石橋書簡」の内容に従うなら、自らの出処進退を自身の判断で決めたことになり、岸田首相の判断と同様であるといえます。

しかし、当時、世論も野党側も石橋に退陣を求めておらず、日本社会党側は一度登院し、同党の質問に短時間回答すれば、その後再び休養することも容認する態度を示しました。

その一方で、自民党内では反主流派の筆頭であった河野一郎が石橋の退陣は決まったものと発言し、1956年の自民党総裁選挙の際は石橋を支持したものの、組閣時の人事によって反石橋派に回った大野伴睦も「われわれからやめろとは言えないが、どうすればよいかと聞かれれば総辞職だ」と指摘するなど、「石橋おろし」の動きが本格化していました。

従って、石橋は野党の同情的な態度や世論に従って退陣を先延ばしにすることはできても、早晩党内で反主流派による石橋政権転覆が起きることが予想されました[2]。

こうした状況を踏まえたうえで作られたのが「石橋書簡」であったことは、石橋湛山の退陣問題を考える際に不可欠となります。

むしろ、世論はともかく、岸田首相を擁しているのでは来るべき総選挙や来夏の参院選や都議選といった重要な選挙に勝利できないという自民党内の動揺を抑えきることが難しいと判断しての退陣であったと考えるなら、石橋との共通点を見出すことが可能です。

その意味で、もし岸田首相と石橋湛山を比較するのであれば、自民党内の動向を踏まえることが重要なのです。

[1]岸田首相退陣へ. 日本経済新聞, 2024年8月15日朝刊1面.
[2]鈴村裕輔, 政治家 石橋湛山. 中央公論新社, 2023年, 190-195頁.

<Executive Summary>
What Kind of Similarity Is Available between Prime Minister Fumio Kishida and Ishibashi Tanzan? (Yusuke Suzumura)

When Prime Minister Fumio Kishida announced his retirement from the office, some people pointed out that there was similarity with the case of Former Prime Minister Ishibashi Tanzan who decided his resignment with the phrase "obeying my political inner voice." On this occasion, we examine the validity of such kind of idea.

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