長崎市への原子爆弾の投下から76年目に際し「長崎平和宣言」の意味を考える
1945年8月6日に長崎県長崎市に原子爆弾が投下されてから76年目を迎え、平和記念公園において長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催されました。
式典では長崎市の田上富久市長が長崎平和宣言を読み上げ、日本政府と国会議員に対して核兵器禁止条約への参加と第1回締約国会議への出席を要求するとともに、核保有国と核の傘の下にいる国々の指導者に対して核兵器の削減への努力を呼びかけ、世界各地の人々に脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人ひとりが声を挙げ、世界を変えるべき時が来ていると指摘しました[1]。
今回の平和宣言の中で最も注目すべきは、「長崎を最後の被爆地に」という考えです。
すなわち、平和宣言は次のように述べます。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです。
この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。
この箇所は、長崎市が単に広島市の後に原子爆弾を投下された場所であるというだけでなく、現在に至るまで人類が経験した最後の原爆の投下対象であることに対して、われわれの注意を改めて喚起します。
そして、宣言が指摘するように、広島市は「最初の被爆地」であり続けることに変わりはないものの、もし今後核兵器が実戦で使用されれば長崎市は「最後の被爆地」ではなく「2番目の被爆地」とならざるを得ません。
宣言はこのような単純ながら厳然とした事実をわれわれに伝えることで、改めて核兵器の不使用に留まらず、核廃絶の必要さを訴えかけています。
広島市が「最初の被爆地」として核兵器がもたらす残忍さを世界に向けて不断に発信し続けるとともに、長崎市が「最後の被爆地」として核兵器のさらなる使用に警鐘を鳴らし続けることの意義は大きいものです。
それだけに、平和宣言の「長崎を最後の被爆地に」という主張の持つ意味も大きいものなのです。
[1]令和3年 長崎平和宣言. 長崎市, 2021年8月9日, https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3070000/307100/p036984.html (2021年8月9日閲覧).
<Executive Summary>
What Is a Meaning of the Peace Declaration by the City of Nagasaki at the Nagasaki Peace Memorial Ceremony of 2021? (Yusuke Suzumura)
The 9th August 2021 was the 76th anniversary of the atomic bombing of Nagasaki and Mr. Tomihisa Tagami, the Mayor of the City of Nagasaki, declared the Peace Declaration. In this time we examine a meaning of the declaration.