「8月15日」に改めて考える「玉音放送」と「村山談話」の意味

本日、1945(昭和20)年8月15日正午に昭和天皇が、大日本帝国政府が連合国による日本への降伏要求の最終宣言、いわゆるポツダム宣言を受諾したことを国民に告げる玉音放送から75年が経ちました。

先人の労苦に思いを致しつつ、改めて「終戦の詔書」を反芻するところです。

「終戦の詔書」で最も注目されるのは「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」という箇所でしょう。

ここだけを取り出せば、「終戦の詔書」は国民に艱難辛苦を耐え忍ぶよう求める受忍的な一文となります。しかし、「以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と続くのですから、実は将来のために眼前の難事に堪えるという積極的な内容と言えることは、すでに本欄の指摘するところです[1]。

実際、戦後の日本は軍事的な負担は最大限米国に依存し、その分だけ経済の発展に力を注ぐという戦略によって経済の復興を果たし、一時は世界第2位の経済大国の地位を手にしたのは周知の通りです。

その意味で、戦後の日本は「終戦の詔書」が示した道を歩んできたといえるでしょう[1]。

ところで、「万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」という「終戦の詔書」の示す将来の日本の歩みを支えた国際政治上の枠組みが、1951年9月8日に署名されたサンフランシスコ講和条約の通称で知られる日本国との平和条約です。

本条約により日本は主権を回復することが出来たのですから、文字通り「国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」という「終戦の詔書」が求めた「世界の中の日本」という姿が実現されたことになります。

1995年8月15日の村山富市首相による談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」は、1サンフランシスコ講和条約の則ったものです。

東西冷戦下での講和を巡り保守陣営が西側諸国との単独講和を目指したのに対し、東側諸国も加えた全面講和を唱えていたのが日本社会党であったことを考えれば、日本社会党の委員長でもあった村山首相が単独講和により批准されたサンフランシスコ講和条約の枠組みを前提とする村山談話を公表したのは、現実主義の現れと言えるものです。

1995年6月9日の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を全会一致で採択出来なかったのは、自民党内の反対派がサンフランシスコ講和条約の内容を熟知していなかったか、村山首相が後に村山談話の中で批判した独善的ナショナリズム[2]に情緒的に与していたことが少なからず影響したことが推察されます。

また、社会党の一部も、かつての左右両派の対立のように理念の追求を優先して現実を見据える努力を怠っていことが示唆されるところです。

その様な中で 村山談話を閣議決定して日本政府の公式の文書としたことは、「社会党政権だからできる」と意を決して取り組んだ村山首相と、党内の異論を押さえた河野洋平総裁以下の自民党執行部の功績でもあります。

もとより、村山談話について議論を活発に行うことは重要です。

しかし、内容そのものを否定することは談話が依拠するだけでなく、現在の日本の歩みの基礎となったサンフランシスコ講和条約の枠組みそのものに挑戦することになりかねないだけに、慎重さが求められます。

玉音放送から75年、村山談話から25年が経った今日、改めて根本的な事柄に注意を払う必要があると言えるでしょう。

[1]鈴村裕輔, 69回目の終戦記念日に際して--「終戦の詔書の精神」を忘れるな. 2014年8月15日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/ae8ff5dd0b4e0f49efabc9d5edbb1c9f?frame_id=435622 (2020年8月15日閲覧).
[2]「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話). 外務省, 1995年8月15日, https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html (2020年8月15日閲覧).

<Executive Summary>
What Is a Meaning of the Jewel Voice Broadcast and the Murayama Statement? (Yusuke Suzumura)

The 15th August 2020 is the 75th anniversary for the Jewel Voice Broadcast to promulgate the Imperial Rescript on the Termination of the Greater East Asia War broadcasted on 15th August 1945 and the 25th anniversary for the Statement "On the occasion of the 50th anniversary of the war's end" addressed by Prime Minister Tomiichi Murayama on 15th August 1995. In this occasion we have to examine a meaning of the Imperial Rescript and the Statement.

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