早期の単行本化が期待される趙治勲さんの豊かな才能と努力の成果を伝えた「私の履歴書」

2024年5月期の日本経済新聞の連載「私の履歴書」を担当したのは、囲碁の名誉名人である趙治勲さんでした。

4歳の頃に囲碁を覚え、6歳で韓国から日本に渡って木谷實九段に入団し、史上最年少となる11歳9か月で初段となると、1976年に20歳で王座を獲得したのをはじめ、史上初めて棋聖、名人、本因坊の三大タイトルを独占する大三冠となるなど、棋界屈指の名手として知られるのが趙さんです。

囲碁になじみの薄い私も、1980年代から1990年代にかけて一時代を築くだけでなく、飄々とした雰囲気で記者会見に応じるなど個性豊かな棋士としてその姿をよく目にしたものです。

しかし、余人を寄せ付けない棋士となる以前の趙さんの来歴や、勝負を離れた際の様子については十分な知識を持っていませんでした。

それだけに、タイトルを獲得した後などの記者会見で韓国の記者の質問に答える趙さんの韓国語が拙く、それによって記者の失笑を買ったり侮られたという逸話は私にとって初めて知るものでした。

あるいは、木谷實さんが「10歳で初段になる」と周囲に保証するだけの実力があったものの十分な研鑽を積まなかったために力を発揮できず入段するまでさらに1年を要したことなどは、素養と成果との関係を考える上で大変興味深いものでした。

その一方で、タイトル戦では史上最も多く3連敗後に4連勝を記録して防衛した経験を持つことなどは、趙さんの気風の粘り強さとともに、逆境に屈しない心根の強さをも物語るものであったと言えるでしょう。

何より、一時は記者からの冷笑を恐れて訪韓する機会を避けていたものの、夫人の逝去後に様々な出来事があり、数年の間に50回近く韓国に渡るだけでなく、現在では囲碁の世界で頂点を獲得するまで自らを育てた日本と、自らを生み育んだ韓国との懸け橋となることを目指して様々な取り組みを行っていることも、印象的なものでした。

2019年5月に紫綬褒章を受章した際に背広で皇居に参内したところ、他の受章者は皆モーニングを着用していて驚いたという逸話は、趙さんの天衣無縫ともいうべきお人柄をよく示していました。

囲碁を通して日韓の文化交流の発展に寄与するとともに、棋界の発展そのものを促進した趙治勲さんの30回にわたるお話は、遠からず大小の補遺を加えて単行本として上梓されることが大いに期待されるところです。

<Executive Summary>
Honourary Meijin Cho Chi Hun Shows His Contricution for the Cultural Development between Japan and Korea (Yusuke Suzumura)

Honourary Meijin Cho Chi Hun, a Igo master, writes My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 31st May 2024.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?