「いまこそ、田嶋陽子」で思い出した田嶋陽子先生を巡るいくつかのこと

昨日の朝日新聞の朝刊の文化文芸欄に、旧著の復刊などで再評価が進む田嶋陽子先生を取り上げる記事が掲載されました[1]。

記事の中では、批判を受けながらも男性を中心とする日本の社会のあり方に挑んだ田嶋先生のあり方が、女性学者や国際政治学者、あるいは編集者などの談話を交えながら紹介されています。

ところで、私が法政大学文学部哲学科の2年生のとき、当時第一教養部に在籍していた田嶋先生が必修科目であった英語の文法の講義を担当されました。

最初の1か月の講義は、まず教科書に掲載されている例文を暗記して、一人ずつ無作為に当てて暗唱するという形で進められました。

このときに覚えた教科書一冊分の例文はほとんど忘れてしまったものの、何故か"Even if you were angry, you should not do such a thing."という一文は鮮明に記憶されています。

その後、与えられた課題について英作文を行い、添削を受ける内容に移り、最後は、第1週目は字幕なしの英米映画を鑑賞し、第2週目は映画の内容に基づく英文のレポートと英語での討論を行う形式へと発展しました。

取り上げられたのはリー・タマホリが監督したOnce Were Warriors (1994年)など、社会性、思想性の高い作品でした。

必修の授業ということで初回の講義に参加したのは20人ほどであったものの、後期の最終試験を受験したのは5人でした。

それでも、最終試験が終わった後、田嶋先生がよく利用するという恵比寿のスペイン料理のお店でパエリアをいただいたのは、懐かしい思い出です。

初回の講義の際に「よく、人は『田嶋はテレビばっかり出てるから、大学の授業はほとんどやってない』と言うが、私はテレビ出演のために休講にしたことは一度もない」、「私の講義を取ったことのない学生は『田嶋は女子学生にはAを出し、男子学生にはDしか出さない』などと言うが、私はちゃんと講義に出席し、課題を提出し、試験を受けるなら、男女で点数の差をつけたことはない」とおっしゃったことは、今でも大変印象深いものでした。

特に「テレビ出演のために休講にしたことは一度もない」という一言は、田嶋先生の教育者としてのあり方を垣間見たように思われ、現在、学生の皆さんに教授する身となった私も絶えず念頭に置いている言葉です。

その後、2001年に社会民主党から参議院議員選挙に出馬されて法政大学を退任し、2003年に政界から退いたものの教育の現場からも遠ざかられたことは残念に思われたものです。

今回は、記事の趣旨からも教育者としての田嶋先生への言及がなかっただけに、かつて受けた講義を思い返した次第です。

[1]いまこそ 田嶋陽子. 朝日新聞, 2020年2月20日朝刊28面.

<Executive Summary>
Miscellaneous Episodes of Professor Yoko Tajima (Yusuke Suzumura)

The Asahi Shimbun run an article focusing on Professor Yoko Tajima and her activities on 20th February 2020. On this occasion I remember some episodes of Professor Tajima when I was the second grade of Hosei University.

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