【追悼文】橋田壽賀子さんを巡るいくつかの思い出--「橋田壽賀子さんと「私の履歴書」」の再掲

去る4月4日(日)、脚本家の橋田壽賀子さんが逝去しました。享年95歳でした。

橋田さんが脚本家として60年以上にわたりテレビや映画の分野で活躍したことは、広く知られるところです。

ところで、橋田さんは2019年5月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」を担当され、本欄も「橋田壽賀子さんと「私の履歴書」」と題して取り上げています[1]。

そこで、今回は橋田壽賀子さんの追善として、その折の記事を以下に再掲いたします。

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橋田壽賀子さんと「私の履歴書」
鈴村裕輔

2019年5月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」を執筆するのは、脚本家の橋田壽賀子さんです。

長年にわたって日本のテレビドラマ界を牽引してきた橋田さんの脚本が丹念な下調べと丁寧な言葉遣い、そして俳優による即興を片言隻句も許さない厳密さにあることは広く知られるところです。

毎回の記事では、松竹脚本部に配属されて先輩の脚本家の助手として様々な資料に当たって情報を集め、脚本の下書きや浄書をするものの、女優を除けば映画界で活躍する女性がすくなく、松竹脚本部初の女性ということもあって自分の名前が一切表に出されないといった不遇の時代を過ごした際の逸話などが紹介されており、昭和20年代半ばの日本の映画界の様子が活写されています。

また、第8回では、終戦直後の昭和20(1945)年にいとこと一緒に山形県の左沢に疎開していた伯母を尋ねる様子が取り上げられています。

そして、伯母の世話になっている際に、次のような話を聞いたことが紹介されています[i]。

世話になっている間、そのおばさんはよく昔話をしてくれた。「この辺りでは、ついこの間まで小作人の娘は小学校を出るか出ないかの年になると、米1俵と引き換えに奉公に出たものだ。雇い主からもらう船賃は親にやり、うちの商品の材木で組んだ筏に乗って奉公先まで最上川を下って行ったんだね。普段口に入るのは大根飯ばかり。それは貧しかったよ」。おんば日傘で苦労もなく育った20歳の私は、ただ胸を突かれた。

「小作人の娘」、「最上川の川下り」、「大根飯」といえば、橋田さんの代表作の一つである『おしん』が思い浮かびますし、橋田さんも読者が「『おしん』のあの場面はこうした実体験に基づいていたのか」と思いを新たにすることを念頭に置いて執筆していることが推察されます。

橋田さん自身も入念に意識して毎回の話題を構成していることは、このような挿話の一つひとつからも容易に理解されます。そして、読み手の注意を惹き付けて離さない様子は、脚本家としての手腕が遺憾なく発揮されていることを物語ります。

それだけに、いずれの記事も興味深く、そしてどこまでが真実で、どこに物語的な要素が含まれているのだろうかと思いを巡らせられることも、橋田さんならではのことかも知れません。

[i]橋田壽賀子, 山形・左沢. 日本経済新聞, 2019年5月9日朝刊40面.
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[1]鈴村裕輔, 橋田壽賀子さんと「私の履歴書」. 2019年5月12日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/e90ffe87062764125e564cda2438105f?frame_id=435622 (2021年4月10日閲覧).

<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Ms. Sugako Hashida (Yusuke Suzumura)

Ms. Sugako Hashida, a scriptwriter, had passed away at the age of 95 on 4th April 2021. On this occasion I express miscellaneous impressions of Ms. Hashida.


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