「松井稼頭央選手の積極的な守備」から考える菅義偉首相と状況への適応の問題

2003年12月に大リーグのニューヨーク・メッツと契約した松井稼頭央選手は、他の選手であれば見送るかも知れない打球を捕るために積極的な守備を行い、日本を代表する遊撃手として活躍しました。

しかし、2004年に大リーグの公式戦に出場すると、本拠地のシェイ・スタジアムの内野が守りづらい仕様であったことや持ち前の積極的な守備が裏目に出る形で失策を重ね、大リーグの遊撃手としての要求に満たないと判断され、翌年には守備位置がより負担の少ない二塁に変わりました。

これは、一面において松井選手が大リーグの内野の状況に適応するのが遅れた結果であることを示唆するとともに、他の選手であれば捕球を試みず見送るような球でも積極的にグローブを出した結果であると言えるでしょう。

その意味で、大リーグでの松井選手は難しい球を捕りに行かなければ、「大リーグの遊撃手としては失格」と批判されたり、守備位置が遊撃から二塁に代わることもなかったかも知れません。

それでも、松井選手は自らの姿勢を貫き通し、日米通算で24年にわたり現役を続けることが出来たのでした。

ところで、これと同様の現象は、辞意を表明した菅義偉首相にも当てはまります。

菅首相は第二次安倍晋三内閣の発足以来官房長官を務め、任期は歴代最長を記録しました。

この間、一方では内閣人事局を通して各省庁の幹部級の人事を掌握するとともに行政機構の裏面までを知悉することで政権運営の要となり、他方では定例の記者会見などでは記者団からの質問を時にはぐらかし、時に無視することで、都合の悪い質問や回答が国民の批判を招くことが予想される問いへの対応を巧妙に避けてきました。

これにより、菅首相は安倍政権に不可欠な、安定感のある官房長官と認められることになります。

ただし、菅首相の安定感とは、松井選手の場合とは正反対であり、確実に捕れると分かる場合を除いて可能な限りグローブを出さず、少しでも球筋が難しかったり球足の速い打球は見送るという類の態度がもたらしたものでした。

官房長官であれば、最終的な説明は行政府の長である内閣総理大臣が引き受けますから、最後は「それは総理のお考え次第です」の一言でその場を取り繕うことも不可能ではありません。

これに対し、内閣総理大臣となった菅首相は、官房長官時代と同じように確実に捕れる打球にしかグローブを出さないという姿勢を貫いたことで、国民への説明不足、国民との対話の欠如、といった批判を受けることになります。

何より、新型コロナウイルス感染症の感染拡大という状況の中で繰り返し国民の協力を要請しながら、協力した結果がどのようなものになるのかを明示できず、「明かりは見え始めている」と「コロナ後」の展望を提示したのは政権再末期となる8月25日のことでした。

もとより、行政府の長であり政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長という重責を思えば、菅首相が自らの発言や態度に慎重を期し、いたずらに国民が状況を楽観視することがないよう務めたとしても不思議ではありません。

それでも、慎重に対策を進めるということと国民との対話を行うということとは相反するものではありません。

従って、松井選手が自らの姿勢を貫き通したために大リーグでの大成を逃したように、菅首相も自らの姿勢を状況に適応させることが出来なかったことが、退陣の一因になったと言えるでしょう。

<Executive Summary>
What Is a Reason of Prime Minister Yoshihide Suga's Announcement of Resignation? (Yusuke Suzumura)

Prime Minister Yoshihide Suga will not run for the LDP Presidential Election and leave the position of the Prime Minister. In this occasion we examine a reason of resignation focusing of a lack of mutual communication against citizens in Japan.

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