岸田文雄首相の最初の施政方針演説の問題点は何か

昨日第208回国会が召集され、衆参両院において岸田文雄首相が施政方針演説を行いました[1]。

演説の中で岸田首相は新型コロナウイルス感染症対策を政権の最優先課題として取り組み、5500万人分のワクチンの3回目の接種を所定の期間よりも前倒しで実施することを表明するともに、気候変動などに対処して持続可能な発展を実現するため、「経済社会変革」に挑戦する意欲を示しました。

また、外交及び安全保障についても、米国との同盟の強化とともに中国と建設的で安定した関係の構築を目指す「新時代リアリズム外交」を目指すとしています。

日本のみならず世界各国において新型コロナウイルス感染症への対策が喫緊の課題となっているとともに、気候変動も国際社会に共通する問題となっている以上、どの政権であってもこれらの事項に取り組むことは当然です。

その一方で「経済社会変革」が具体的に何を意味するか、あるいはどのような手法によって実現するのか、さらに「経済社会変革」が好ましい価値を持つのか否かという点が明確に示されていないことは隔靴掻痒の感を免れません。

あるいは、「新時代リアリズム外交」が、対米一辺倒でも親中でもなく、米中両国の間で均衡を保ちつつ日本の国益を最大化しようとする方針であれば、決して岸田政権独自の政策ではなく、むしろ安倍晋三政権及び菅義偉政権の外交政策を継続する、ある意味で穏当な態度となります。

ただし、従来の方針を継続するとしては政権の新味を訴求出来ないため、あえて新しい呼称を与えることで主体性を発揮しようとしていることが推察されます。

こうした様子は、施政方針演説が政権の基本的な方針を示すものであって、個別の事項を詳論するものではないと考えれば、不思議ではないと言えるでしょう。

これに対して注意が必要なのは、演説の劈頭と掉尾における、勝海舟からの引用です。

すなわち、岸田首相は「行蔵は我に存す」という勝の一句を参照し、「それぞれの決断の責任は、自分が全て負う覚悟で取り組んでまいりました。」と国内外の課題に対する政権の取り組みを評価しています。

確かに、「行蔵は我に存す」という箇所のみを見るなら、岸田首相の発言も妥当なもののように思われます。

しかし、実際には勝の発言は明治維新の際の勝と榎本武揚の態度を批判した福沢諭吉の「瘠我慢の説」への回答であり「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候」[2]と、「行動するのは自分自身であり、批判は他人が行うものであるから、そうした批判については関知しない」という意味を持ちます。

すなわち、行動が先にあり、その行動に対する批判をどのように受け止めるかを説くのが引用箇所のより適切な理解であって、いかにして事に臨むかという心構えを説くと理解するのは適切さの点で劣ることが分かります。

さらに、最後に参照した「己を改革す」の一句も、勝の『氷川清話』の記述を参照すると「おれの知ってる小役人の中にも、これまで随分ひどい目に遇ったものもある。全体、改革ということは、公平でなくてはいけない。そして大きい者から始めて、小さいものを後にするがよいヨ。言ひ換へれば、改革者が一番に自分を改革するのサ。」[3]とあります。

これは、岸田首相が理解した「自らを律することに重きを置」くという意味よりも、むしろ行政改革は大きな事柄から初めて小さな事項に至ることが望ましいという、物事に取り組む順番を示していることが分かります。

このように考えれば、今回の施政方針演説は、演説そのものとしては穏当ながら所説を補強すべき引用の点で改善の余地があったことが推察されます。

政治家は故事成語や古典籍からの引用を好むものの、演説の原稿を執筆する補佐官や官僚に相応の知識がなければ正確であり、演説の前後の脈絡に合致した内容に仕上げることは容易ではありません。

その意味で、岸田首相にとっての最初の施政方針演説は、適切な引用という基本的な事項を確実に行うことが求められる内容であったと考えられるのです。

[1]第二百八回国会における岸田内閣総理大臣施政方針演説. 首相官邸, 2022年1月17日, https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0117shiseihoshin.html (2022年1月18日閲覧).

[2]慶應義塾編, 福沢諭吉の手紙. 岩波書店, 2004年, 267頁.

[3]勝海舟, 氷川清話. 人物往来社, 1968年, 36頁.

<Executive Summary>

What Was an Important Problem for Prime Minister Kishida's Policy Speech? (Yusuke Suzumura)

Prime Minister Fumio Kishida delivered his policy speech at the Both Diets on 17th January 2022. In this occasion we examine an important problem of the speech focusing on the cited phrases.

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