「留学生と経済問題」で思い出されるいくつかのこと

私が大学で初めて留学生と交流したのは法政大学文学部1年生のときのことで、韓国から来た2人の男子学生と必修体育の時間が同じだったことがきっかけでした。

その後、法政大学大学院に進学し、2度目の修士課程の2年生であった2004年6月からは、当時法政大学国際交流センターが設けていた留学生向けのチューターとして、留学生の皆さんのレポートや課題、論文の添削や就職活動の相談などを行ったものです。

この間ご一緒したのは、中国、韓国、台湾のほか、イタリア、スペイン、ロシア、ペルー、ヴェトナムなどの各国からいらした皆さんで、2013年度から主として交換留学生向けの講義を担当すると、英米仏独豪やギリシア、カザフスタン、タイなどの皆さんと交流する機会が増えました。

そして、2019年4月に名城大学に着任してからも、上記の他に香港などの各地から参加している留学生の皆さんとご一緒しています。

ところで、2000年代半ばから2010年代半ばまで、法政大学大学院の修士課程や博士課程に留学される方は私費留学が多く、交換留学生や国費の留学生の数は相対的に少ない印象でした。

そのためもあり、留学生の皆さんにとって学費や生活費の問題は小さくなく、就学ビザの上限である28時間の就労時間の中でどれだけ効率的に収入を得るかは重要な問題でした。

しかも、アルバイトに力を入れれば研究や論文の執筆、さらには日々の演習や講義に充てる時間は少なくなる一方、後者を重視すれば経済的に苦しくなることは明らかなだけに、皆さんは学内外の奨学金などにも積極的に応募されていました。

その中で、中国からの留学生のAさんは、法政大学大学院で修士課程を修了した後、英語圏の大学への留学を経て日本に戻り、法政大学の博士課程に進学しました。

日本に戻った後にAさんが見付けた新たなアルバイトはホテルフロントの夜番の仕事でした。

中英日の3か国語に通じている特長を活かし、都庁前にある電鉄系のホテルのフロントを担当するようになったAさんは、日中は市ヶ谷の法政大学の92年館の2階にあった専攻室で研究や論文の執筆に励み、週に3日ないし4日は総武線に乗車して新宿の職場での仕事に勤しみ、無事に学位請求論文を提出して博士号を授与されました。

その後、Aさんは中国の大学の専任教員となり、研究教育活動の他に日本の大学との間で学術交流や教員の相互派遣なども担当し、日中間の知的交流の一翼を担っています。

「中国にいれば経済的な問題は心配ないし、就職先にも困らないかも知れない。でも、自分がやりたいと思っている研究は日中関係が中心だが、中国共産党の批判と思われかねないので、中国では出来ない。だから来日した。日本で研究し、博士号を取得することが出来るならどんなことでも頑張ろうと思っていたが、生活費の問題は厳しかった。だから、ホテルのフロントのアルバイトが見付かった時は嬉しかったし、社員の人たちや他のアルバイトの仲間も博士号取得という挑戦を理解してくれたから、環境にはとても恵まれていた。もし日中のアルバイトしか見付からなかったら、博士論文を提出するまでもっと時間がかかっていたかもしれない」とは、今から10年前に博士号を授与された際のAさんの所感です。

法政大学では2010年度から法政大学大学院博士後期課程研究助成金などの、新たな奨学金制度が設けられ、留学生を含む大学院生への経済的な支援が進められています。

また、Aさんの事例もすでに2000年代の話であるため、現在の留学生の皆さんを取り巻く状況とはおのずから異なることでしょう。

それでも、Aさんの所感が留学生の切実な発言の一つであることに変わりはなく、私にとっては「留学生と経済問題」という話題の際にいつも思い出されるものとなっています。

<Executive Summary>
Miscellaneous Episodes of a Relationship between the International Students and an Economic Problem (Yusuke Suzumura)

In these days an economic problem of the international students brought by an outbreak of the COVID-19 is one of remarkable issues in Japan. On this occasion I remember some episodes concerning on a relationship between the international students and an economic problem.

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