改めて考える小澤征爾さんの社会的な存在感の高さ

2月6日(火)に逝去した指揮者の小澤征爾さんについて、私が思い出したいくつかのことについては2月9日(金)の本欄でもご紹介した通りです[1]。

訃報が発表されてからの国内外の様々な媒体の報道は、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを問わずその足跡を丹念に紹介するだけでなく、あるいはレコード店の追悼特集を報じ、あるいは聴衆の声を取り上げるなど、一人の指揮者の長逝という枠組みを超える扱いがなされています。

何より象徴的なのは新聞各紙が2月10日(土)の朝刊の1面で逝去を報じたことで、例えば洋楽関係者として初めて文化勲章を受章した朝比奈隆さんの場合、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞は1面で取り上げたものの日本経済新聞は27面で報じるなど、主要全国紙の中でも対応が分かれたものです。

また、他の多くの指揮者はどれほど著名であっても評伝とともに社会面で報じられるのが一般的であることを考えれば、小澤征爾さんが音楽界の発展に果たした役割が大きかっただけでなく、「世界的指揮者」という呼び名を冠せられる稀有な存在であったことが改めて実感されます。

もちろん、現在、日本出身の指揮者で世界各地の楽団の音楽監督や首席指揮者などを務める人たちは数多くいます。その意味で、日本国外で活動することそのものが大きな意味を持っていた時代とは比べるべくもないでしょう。

それでも、今後このように社会的な出来事として取り上げられる指揮者が日本から登場するかと考えると、少なくとも現時点で思い浮かぶ名前は皆無と言ってよいでしょう。

これは、一面において日本出身の指揮者の国際化の進展の結果であり、他面では斯界の開拓者の一人であったからこそ様々な困難に直面し、それを乗り越えるたびに新たな名声を博した集大成の一端が今回の扱いに垣間見られことが推察させます。

それだけに、小澤征爾さんの残した芸術的な成果がどのように扱われるかとともに、小澤さんに比肩し、あるいは超える存在が現れるのか、興味深く思われます。

[1]鈴村裕輔, 【追悼文】小澤征爾さんについて思い出すいくつかのこと. 2024年2月9日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/707753b4a81f10c5e3cb9bd060be9a23?frame_id=435622 (2024年2月11日閲覧).

<Executive Summary>
What Is the Meaning of the Death of Dr Seiji Ozawa (Yusuke Suzumura)

Dr Seijo Ozawa, a Former Principal Conductor of the Vienna State Opera, had passed away at the age of 88 on 6th February 2024. On this occasion, I examine the meaning of the death of Dr Ozawa.

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