IOCの「商業主義的態度」が損なう「オリンピックのブランド価値」

昨日、国際オリンピック委員会(IOC)は、「安倍晋三首相が現行の契約条件に沿って引き続き日本が負担することに同意した」とする見解を公式ウェブサイトに掲載したものの、日本側の抗議により、該当箇所を削除しました[1]。

1953年の鳩山一郎・広川弘禅会談の故事[2]を参照するまでもなく、真実なのに当事者が否定するという話は政治の世界では日常的です。

その意味で、今回はIOCが素直な反応を示しただけなのかも知れませんし、「追加負担」を既成事実化しようとするIOCの遠慮深謀かも知れません。

一方で、開催都市である東京都と東京都の財政保証を行う日本政府が「東京オリンピック・パラリンピック」の開催を希望する以上は、追加負担は不可避です。

それとともに、日本を含む各国が新型コロナウイルス感染症への対策に奔走する中で「追加負担」を日本政府と協議するなら、そのような取り組みはIOCにとっては当然の態度かも知れないものの、各国の人々の目には「私利私欲の優先」と映りかねません。

こうした点は、オリンピックを「オリンピック主義の普及のための手段」ではなく「利益の創出と組織の維持のための目的」とするという意味でのIOCの「商業主義」的なあり方を推察させます。


換言すれば、IOCの公式ウェブサイトから削除された「追加負担」に関する文言は、IOCが依然としてサマランチ体制下で確立された「儲かる商売」としてのオリンピックに依存しなければならない体質にあることを示しています。

IOCにとってはオリンピックを「オリンピック主義の普及のための手段」に回帰するための格好の手段を失いつつあるといえるでしょう。

東京オリンピック・パラリンピックへのIOCの対応は、2030年以降の冬季大会、2032年以降の夏季大会の開催に立候補する都市の数を左右することになります。

しかも、開催都市の状況にかかわらず、「IOCは私利私欲を優先する」と考えられるなら、今後の立候補都市の数はこれまで以上に減少することになるでしょうし、場合によっては財政的な面で問題を抱える都市しか立候補しない可能性が高まります。

自覚的か否かは別として、「商業主義」路線を追求するために、IOCはオリンピックの「ブランド価値」を棄損していることが推察されるところです。

[1]五輪の追加費用「首相が負担同意」. 日本経済新聞, 2020年4月22日朝刊30面.
[2]御厨貴監修『渡邉恒雄回顧録』, 中央公論社, 2007年, 126-129頁.

<Executive Summary>
The IOC Damages Its Brand with Their Mammonistic Attitudes (Yusuke Suzumura)

The International Olympic Committee (IOC) withdrew a document concerning on agreement of an additional cost allocation between the IOC and Japanese Prime Minister Shinzo Abe on 21st April 2020. It implies that the IOC remains in mammonism and damages its brand by such attitudes.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?