東日本大震災の発生から9年を迎え再び「記憶の風化を受け入れて踏み出す第一歩」の重要さを訴える

本日、2011年3月11日(金)に起きた東北地方太平洋沖地震とその後に発生した津波の被害などを含む東日本大震災の発生から満9年が経ちました。

ヒトの記憶の保持能力の作用により、たとえ東日本大震災のような大災害であっても人々の印象が薄れることのが当然であること、あるいは、人間の記憶は保持される期間に限界がある以上、記憶の忘却が「風化させてはならない」というようにしばしば否定的に捉えられやすいことは、本欄の指摘するところです[1],[2]。

また、東日本大震災の被害を受け、今なお困難な状況を強いられる人たちの声を受け止めるかという容易に解決しない課題に対し、いかにして想像力を発揮して真摯に取り組むべきかという点も、すでにわれわれが見た通りです[3]。

その一方で、例えば現在の東京都内では、「がんばろう東北」といった貼り紙を付けたトラックなどを目にするときでなければ東日本大震災の話題を思い出すことが難しいほど、日常の生活は2011年3月11日の14時46分以前の状態に戻ったかのようです[4]。

もとより、日本に住む全ての人が東日本大震災の被害に遭ったわけではありませんし、震災後に人となった皆さんも多数います。従って、今や、多くの人にとって東日本大震災がかつて起きた様々な出来事の一つとなっているとしても不思議ではありません[4]。

それだけに、われわれにとって、風化の状態を迎えつつある出来事を思い出し、世代を超えて記憶を伝えるための契機として、たとえ1年のうちの一瞬だけであっても東日本大震災のことに思いを致すことは重要な意味を持ちます。

改めて、3月11日という日に東日本大震災を想起することこそが、記憶の風化を乗り越える第一歩となるのです。

[1]鈴村裕輔, 阪神・淡路大震災から19年目に際して、あるいは「記念の日」の必要性. 2014年1月18日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/dccf2a597581396610512ab4dc159bee?frame_id=435622 (2020年3月11日閲覧).

[2]鈴村裕輔, 記憶の風化を恐れるな――阪神・淡路大震災の発生から20年を経て. 2015年1月18日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/68a6bf3eeb6565da0b7ecfe8a4964f0a?frame_id=435622 (2020年3月11日閲覧).

[3]鈴村裕輔, 東日本大震災の発生から7年目に際し改めて「記憶を後世に伝えること」の大切さを訴える. 2018年3月11日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/d7034c8fe52d8b40351056d2cd2562a1?frame_id=435622 (2020年3月11日閲覧).

[4]鈴村裕輔, 東日本大震災の発生から8年目を迎えて改めて求められる「記憶を留めるための不断の努力」. 2019年3月11日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/c9163af5ad497cc4acd83ef281c53386?frame_id=435622 (2020年3月11日閲覧).


<Executive Summary>
On the Occasion of the 9th Anniversary of the Great East Japan Earthquake: How Can We Hand Down Our Memories to the Next Generation? (Yusuke Suzumura)

The 11th March 2020 is the 9th anniversary of the Great East Japan Earthquake of 2011. On this occasion we want for ourselves to maintain our memories concerning on the earthquake and hand down them to the next generation.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?