【書評】澤宮優『世紀の落球』(中央公論社、2020年)

去る8月10日(月)、澤宮優さんの新著『世紀の落球』(中央公論社、2020年)が刊行されました。

本書では、「筋書きのないドラマ」とも呼ばれる野球が持つ偶然性を代表する要素の一つである落球に焦点を当て、勝負の行方を左右したとして人々に知られる3つの落球が取り上げられています。

登場するのは、2008年の夏季オリンピック北京大会で行われた野球の3位決定戦で飛球をグラブの先に当てて落とした埼玉西武ライオンズのG.G.佐藤、全国高校野球選手権大会3回戦で飛球を追ったもののファウルゾーンで転倒した、1979年の石川県代表星稜高等学校の加藤直樹、そして、1973年8月5日の読売ジャイアンツ戦で守備の定位置の打球を捕ろうとして転倒した阪神タイガースの池田純一の3選手です。

いずれも野球愛好家の間では広く知られる話題であり、今も「あれがなければ…」と言われる場面となっています。

これに対し、筆者は、「何故、捕れなかったのか」ではなく、「捕れないことで批判を受けたが、その後どのような道を歩んだか」に着目し、本人や関係者への聞き取りや当時の報道などを丹念に調査します。

確かに、米国代表に敗れたことで日本代表は北京五輪の野球で4位になったものの、敗戦の原因とされるG.G.佐藤は帰国後にライオンズの優勝に貢献する活躍をしましたし、加藤は落球があったとはいえ大会中の打撃は好調であり、池田もタイガースの重要な戦力として実績を残しました。

一方で、こうした活躍が「世紀の落球」の前では存在感に乏しいのも事実です。

人々が落球にのみ目を奪われる理由としては、「思いがけない出来事により状況が一変するという」という落球の持つ劇的な側面や、プロ野球や高校野球といった高い水準で活躍する選手が落球という未熟に見える振る舞いをすること、あるいは他人の失敗を目にしてある種の満足感を覚える嗜虐性などが考えられます。

それでは、一回の失敗によってそれまでの取り組みの全てを否定したり、「優勝できなかったのはあの落球のせい」と結果論的に責任を問うことは、果たしてどの程度まで許容されるのでしょうか。

このような問いに対する本書の回答は明快です。すなわち、本書が辿り着くのは、落球は確かに失敗かも知れないものの、「一つのミス、一つの負けが選手を生涯にわたって苦しめるのはあまりに不条理だ」(本書179頁)という視点であり、「ある印象的なワンプレーだけにこだわらず、もっと広い目で選手やチームを見ていってほしいと切実に思う」(本書178頁)というスポーツファンへの願いです。

こうした願いは、もしかしたらあまりに人間的すぎるものかも知れません。

しかし、これまでも多くの人が見逃してきたり価値を置いてこなかった事柄に着目し、ある時は埋もれた名選手を蘇らせ(『巨人軍最強の捕手』、晶文社、2003年)、ある時は何の変哲もないと思われた役に新たな価値を与え(『三塁ベースコーチ、攻める。』、河出書房新社、2012年)、またある時は記憶の忘却に抗ってきた(『集団就職』、弦書房、2017年)のが著者です。

その様な著者の根底にある、人間への深い信頼は本書にも脈々と流れていることは、佐藤、加藤、池田の3選手を取り上げた3つの章に続き、失敗を犯した選手がどのように失敗を受け止め、克服したかを描く第4章「ミスのあとの人生をどう生きるか」を一見するだけでも明らかです。

もし、「手痛い失敗を経験した敗者の物語」を読もうと本書を手にする読者は期待を裏切られることでしょう。

何故なら、『世紀の落球』は、失敗に挫折することなくそれぞれの方法で過去を受け止め、そして新たな道を見出した、「敗れざる者たちの物語」なのですから。

<Executive Summary>
Book Review: Yu Sawamiya's "The Great Ball-Drop of the Century" (Yusuke Suzumura)

Mr. Yu Sawamia, a nonfictioneer, published a book titled The Great Ball-Drop of the Century from Chuokoron Shinsha on 10th August 2020.

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