大平正芳が『週刊東洋経済』で示した「総理候補らしい気宇の壮大さ」

先日、研究のために『週刊東洋経済』を調べていたところ、1971年1月9日号の特集「'71年を演出する 日本のパワーエリート 私ならこうする――“総理候補”大いに語る」が掲載されているのを目にしました[1]。

この企画は、佐藤栄作の後継の座を激しく争っていた三角大福、すなわち三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫のうち、大蔵大臣として新年度予算案の編成の佳境を迎えていた福田以外の3人に聞き手が個別に対談を行い、その結果を掲載する、というものです。

これらの3人の中でもとりわけ注目されたのが、最初に登場した大平正芳でした[2]。

記事の中で、「いちばん問題になっている公害問題についての考え方と、取り組む姿勢をおうかがいしたい」という聞き手の問いに対し、大平は「一九七〇年代のわれわれの課題は、この問題をもっとマクロ的に取り上げにゃいかんのじゃないか」と応えています。

また、大平は「一億の民が、三七万平方キロの全域にわたって均衡のとれた厚みで経済、政治、文化活動を展開できる基盤をつくらないと、ミクロの公害対策をいくらやっても、頭隠して尻隠さずということになる」と指摘します。

「経済、政治」に加え「文化活動」を挙げる点に、1979年1月25日の施政方針演説で「経済中心の時代から文化重視の時代に至ったものと見るべきであります」と指摘し、「壮大な文化の創造」を「われわれが挑戦すべき重要な課題であります」[3]とした大平らしさが見て取れます。

大平が実際に政権を担当するのは記事の掲載から7年を経なけばならなかったものの、すでに当時から「総理候補」らしい気宇の大きさがあったことが改めて実感されたところです。

[1]'71年を演出する 日本のパワーエリート 私ならこうする――“総理候補”大いに語る. 週刊東洋経済, 3574: 44-52, 1971年.
[2]同. 44-46頁.
[3]第87回国会(常会)における施政方針演説. データベース「世界と日本」(代表:田中明彦), 公開日未詳, https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pm/19790125.SWJ.html (2020年4月24日閲覧).

<Executive Summary>
Dr. Ohira Masayoshi in The Weekly Toyo Keizai (Yusuke Suzumura)

The Weekly Toyo Keizai run a dialogue of Dr. Ohira Masayoshi, who became Japanese Prime Minister in 1978, in January 1978. In this dialogue Dr. Ohira showed a part of his governing ability.

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