ある新任少尉と「戦争の記憶」(3)

去る8月16日(日)から、3回に分けて、戦時の記憶に関する身近な事例として、私が1995年3月に行った祖父への聞き取りの内容の一部を紹介しております[1],[2]。

今回は、第3回目として、1945年8月16日から復員後の様子をご紹介します。

なお、ご紹介する内容については、個人名などの具体的な情報を隠匿化していること、一人称は全て「自分」としていること、括弧内は私の補足であることを予めご承知おきください。

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(6)復員まで
隊長の訓示が終わって、これからは生きて国に帰ることが当面の問題となると、今度はどうやって帰るかという話になる。

こっちは降伏だ停戦だと言っているが、条約を破って攻撃してきたソ連が本当に停戦するのか分からないし、偵察に出た者の話だとソ連軍の方はどんどんこっちに向かってきているらしい。うかうかしているとみんな捕まってしまうということで、いつでも内地に戻れるように準備をしようということになった。

それで、こっちからは進撃しないがソ連軍が基地までやって来たら反撃しようじゃないかと言うことにして、急いで内地に戻るための準備をやった。

そうしたら翌日(8月17日)だったかその次の日(8月18日)だったかに武装解除をして戻れる者から直ちに戻れということになった。

こっちはもう準備が出来ているから、すぐに奉天を立って本土に戻ったわけだ。「そら帰れ、そら戻れ」という具合で、とにかく振り返らないで出ていけ出ていけとなった。

考えてみれば8月16日の朝は士官連中の中で一番遅く起きていたのが一番最初に基地を出たのだから、こんな話もあるものかと思った。

(7)復員から帰郷まで
追い立てられるように内地に戻ってみたが、今度は内地でどうすればよいか誰も分からない。それで、ひとまず明野の飛行学校に行ってみようということで、自分は明野に向かった。

飛行学校に着くと、ここも案の定何が何だか分からない様子だったが、士官学校の時に世話になった教官がいたから、奉天から戻って来た経緯を話し、今後どうすればよいかと相談した。

すると、もう軍隊も終わりだということで、「貴様はここで除隊する。手続きはこっちでやっとくから、貴様はクニ(郷里)にでも戻っておれ」と言われた。

「クニに戻れ」というのだから、こんなありがたい話はない。だから、教官の言う通り母の疎開先に行くことにした。「何かあった時に連絡するから、住所を教えろ」と言われたから疎開先の住所を教えると、上官は「必要なものがあれば何でも持っていけ」と言う。

何しろ、こっちは奉天から戻ったばかりで何も持ち合わせていないようなものだったから、当座に必要なものをもらって疎開先に行くことにした。

「手続きはしておく」という上官の話は嘘ではなく、ちゃんと手続きはされていたようだから、本当にありがたいことだった。

(8)疎開先での出来事
こうして母の疎開先に無事に辿り着くと、それからしばらくの間は東京に戻らず、疎開先で過ごしていた。

疎開先と言えば、一度米軍のMPがやって来たことがあった。

ちょうど(1946[昭和21]年5月に)東京裁判が始まった頃で、(将官で中国に派遣されていた)父を証人として召喚するから居場所を教えろとか何とか言っていた。ここまで来たのは、明野で住所を教えたからだろう。

だが、父は大陸から戻っていなかったし、「ソ連軍に捕まったとか」とか「(朝鮮半島北部の)白頭山で馬賊をしている」という噂は聞いたことがあったがいつ頃復員するかということは全然分からなかった。

だから、MPに「父はまだ戻っていない。ソ連軍が捕虜にしたという話も聞いたことがあるから、ソ連軍に聞いた方が早いんじゃないか」と言ってやったら、MPはそのまま帰って行って、二度と来ることはなかった。

どうやらMPというかGHQの方も父がソ連軍の捕虜になっているという話を掴んでいたから、わざわざ裏を取るというか、話が本当か確認するためにこっちまで来たのではないかと思う。証人として喚問するという話が本当かは分からないがMPがあっさりと引き返したのは、そんな理由があったからだろう。

父がソ連軍の捕虜になり、シベリアで亡くなったという話が分かるのはもっと後のことだったから、この時は噂話以外、何の情報もなかった。
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[1]鈴村裕輔, ある新任少尉と「戦争の記憶」(1). 2020年8月16日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/83281ec1fa1670fd32b386f3753a2ea5?frame_id=435622 (2020年8月18日閲覧).
[2]鈴村裕輔, ある新任少尉と「戦争の記憶」(2). 2020年8月17日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/cb3b3a0e5583a1d09d4791fcb0b73a15?frame_id=435622 (2020年8月18日閲覧).

<Executive Summary>
A Young Second Lieutenant and His Memories on the Pacific War (III) (Yusuke Suzumura)

August 2020 is the 75th anniversary of the end of the Pacific War. In this occasion I introduce reminiscences of my grand father who was a Second Lieutenant of the Japanese Imperial Army and in Mukden, China.

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