見出し画像

人口減少の中でも、これから公共事業を進めるべきなのか?

私は、現在公務員の人事・研修担当を務めている。
先日研修の一環として、「人口減少の中でも、これから公共事業を進めるべきなのか?」というテーマで若手職員のディベートを行った。
我々公務員は、基本的には公共事業推進派。(思想として反対派もいなくはない)
そんな中、なぜ私がこのようなテーマ設定をしたか。
それは、中立公正性を求められる公務員が、盲目的に公共事業推進を信じてはならないと思ったからである。

民主党政権において、「コンクリートから人へ」というスローガンが掲げられ、一時期は国費の公共事業費は少なくなった。
その後、東日本大震災もあり、近年頻発する災害から、公共事業への考え方が変わりつつある。
しかし、依然として公共事業は「ムダ遣い」だと感じる人達は多くいる。
メディアで目にする論調も、反対派側の意見が多いだろう。

反対側の意見はこのような内容だ。
「人口減少や財政赤字が進む中で、新しい道路や堤防を作る必要はない」
「道路や堤防よりも子供や高齢者に投資した方が良い」という内容だ。

確かに、現在日本では人口減少が進むことにより、過疎化が進む地域もある中、新しい道路や堤防が必要だろうか?

まず公共事業実施の前提としては、経済効果が求められる。
投資(税金)に対し、経済効果があるかどうかという点で評価され、投資に対する経済効果が十分ある場合には実施することができる。
つまり、理論上はムダな公共投資はしていないことが基本だ。

一方で、仮にこのまま人口減少が進めば、人々が居住する範囲は狭くなることは間違いない。
そのため、居住が見込まれない区域にアクセスする道路やその地域を守るための堤防などのインフラを作らないことや維持管理しないという選択肢はあり得る。

しかしながら、このような地方を切り捨てるような投資をしていて良いのだろうか?
目下は高齢少子化が進んでいるが、外国人の受け入れや出生率の向上によって社会が変わる可能性もある。

ここで、立ち止まって考えてみよう。
経済効果はあるようだが、将来人口が減る地域に対しては、インフラ整備を行わないとした場合には、どのような日本社会になっているだろうか。
人々がある程度集まる都市にしか人々が住んでいない。居住地は事実上制約されている。
インフラが適切にメンテナンスされていないため、人々が住んでいない地方にはアクセスしずらい。そのため、地方文化の消滅、田園風景の荒廃が進む。

このような日本社会は素晴らしいだろうか。私は自信を持つことはできない。
外国人が日本に訪れ、興味深いと感じるのは、東京や大阪などの大都市のみではない。日本に残っている田園風景や古来からの慣習、そんな多様な文化が面白いのだと思う。
インフラ整備を実施することは、地方文化を守る側面もあると思われる。

ある程度人々を分散し、様々な場所に住むことができることは、経済的な側面から合理的ではない。
しかし、経済合理性のみで考えることは、人間社会を営む上で正しい選択だろうか。

違う論点から考えてみよう。
実際にインフラ整備を行う人々は、建設業の方が中心である。
公共投資による、道路や堤防などのインフラ整備は、建設業界のおおよそ半分の市場規模(図1)。
たしかに、すべてではない。しかし、仮に、公共投資のインフラ整備が減った場合には、建設市場が縮小され、建設業従事者が減少する可能性は高い。

図1:民間投資比率(国土交通省統計より)

そうなった場合にどのようなリスクがあるだろうか?
「災害対応が十分にできなくなる」可能性がある。
洪水や地震、津波などの災害時、がれきの撤去や壊れた堤防の応急復旧などは、建設業の方々が行っている。一般的にはあまり知られていないかもしれない。
建設業に携わる方々は、「地域の守り手」なのだ。
そのため、「災害大国」と言われる日本において、災害対応を担う方々を減らすような投資をして良いのだろうか。

「人口減少の中でも、これから公共事業を進めるべきなのか?」
私の答えは、「分からない」。

しかし、今より豊かな日本社会を作っていくのであれば、必要だと考える。
このように回りくどく言ったのは、今日本に住んでいる方々が、どれだけ日本社会を豊かにしたいと考えているのか、分からないからだ。
個人主義が浸透し、社会を変えたいという人は少なくなり、社会への希望を持っている人も減っているような気がする。自分自身のみが良ければよいと考える人が増えたような気がする。

インフラを作るというのは、現在の人のためではない。未来への投資だ。
将来社会のあるべき姿があってこそ成立するものだと思う。
インフラでより良い日本の未来を創りたいという、希望を持つ方々が増えることを期待するばかりである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?